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     朝鮮通信使の富士山観賞


 富士山は、日本最高峰(剣ヶ峰)の山である。日本列島のほぼ中央部に聳え、その優美な姿は日本の象徴として国内外に広く知られている。
 富士山は、昔から信仰の対象として人々に崇められ数多くの芸術作品を生み出した。2014年、世界文化遺産に登録された。

 富士山の雄姿は、昔のままで今も変わらない。

 江戸時代、朝鮮通信使は第1回(1607年)から第12回(1811年)まで、江戸まで行かなかった第2回を除く計10回の東海道往復で富士山を観賞した。どのように観賞したのだろうか、通信使の使行録からいくつかをとり上げて見る。

 朝鮮通信使一行の鑑賞場所は、白須賀(浜名湖西)、今切(浜名湖)、浜松、掛川、中山、大井川、駿府、江尻、薩埵峠、蒲原、富士川東、吉原、三島、箱根と静岡県内の東海道の名所全域に亘っている。

 使節員らは富士山の雄姿を褒め称え、とくに山頂に万年雪があることに感動している。

 第3回(1624)通信使の副使・慶七松(キョンチルソン)は、
「山は大平野の中にあって、三州の境界に雄雄しくそびえ立ち、白雲がつねに中腹に発生し、空に浮かんで天を覆い、山の頂上はいつも雪が積もって白く・・・まことに天下の壮観である」(『海搓録』)と述べ、万年雪が残る富士山を称えている。

 第7回(1682)通信使の訳官・洪寓載(ホンウジェ)は、
「富士山の氷雪が消えないという話を、一行の中には出鱈目だと疑う人もいないわけではなかったが、今になってこれを見ると、平山に雪の痕跡があり、頂上には堆(うずたか)く盛られていた。、、疑いをもっていた心を打ち破られた」と記し、夏でも雪が残る富士山を不思議がったのである。

 第9回(1719年)通信使の製述官・申維翰(シンユハン)は、
「白須賀村(静岡県湖西市南西部)を過ぎた。日本人が東の雲際を指して”富士山だ!”と叫んだ。
私は輿を停めて、東の空を眺めた。雪の積もった山頂が白いかんざしのように青い空をまっすぐ貫き、山の中腹から下は、雲のかすみにおおわれて、陰となっていた。
聞けば、ここはあの山裾から四百里(1里=400m)も離れているという。それが今、すでに、私の目の中にある。海外に、あまたある山の中でも、富士山に並ぶものはないだろう」(『海遊録』)と記し、世界の山々を直接見たはずもないのに、”世界に並ぶものがない”と褒め称えているのは、外交辞令的であるが、はじめて見る富士山の雄姿に感動したからの表現であろう。

 11次(1764年)通信使の書記官・金仁謙は、
『風が吹き渡ると 白い蓮の花が半ば開いたような 白雪嵯峨たる山が姿を現した。、、優雅にして高大 雲の果てに届いている。』(『葵未隋搓録』)と記し、原(沼津市)から富士山の全貌を見渡たし感動している。

    芦に湖
     富士山を眺める通信使 葛飾北斎画

 富士山を眺めながら原を通過する通信使一行の様子を、葛飾北斎が描写して「東海道五十三次」画集の一つに残した。

 通信使一行が箱根峠にやっと登りつめると、眼下にひろがる芦ノ湖と左前方にそびえる富士の雄姿に、一行の誰もが感嘆の声を上げ、中国の故事にある神仙が棲む山にたとえて、その優美な姿を賞賛したのであった。

  箱根峠
        箱根峠からの眺め

 朝鮮半島から海をわたって、江戸到着までの海路、陸路の長旅の中で、箱根峠でみる圧倒的な存在感のある富士山の光景は、通信使一行に感動と共に強烈な印象に残したようである。殆どの使行録に記されている。

 しかし、18世紀に入り第10回(1748年)と11回(1768年)の2回の朝鮮通信使の中に、富士山の賞賛だけではなく、ナーバスな表現をした日記・記録も残さている。

 「優雅で奇観ではあるが、先人の日記にあるような天下の名山というほどではない」
「箱根のほうが山脈として魅力的である」
「伝説では、始皇帝が不老不死の薬を求めて徐福を遣わし、富士山で仙薬を探させたというが、人参の産地である朝鮮を通過して、人参のない日本に来るはずがない」といった記述が見られるようになった。

 こうした記事が書かれるようになった背景には、武士の国・日本に対する朝鮮の儒教文化の優越意識と朝鮮王朝(李朝)の支配階級・両班(文班・武班)の間で繰り広げられていた党争(派閥争い)があった。

 通信使の使行録は正式に朝廷に報告するためであるが、使行員の日記や記録は国内用のもので、めったに日本人が読むことはなかった。

 そのため、使行員個人の日記・記録は、自派閥の優位を誇示するために書かれたもの、たとえば他派閥の先輩通信使が「世界でも比類なき山」と賞賛していた富士山を、「たいした山じゃない」と批判しているのである。

 そのような日記・記録を残した使行員は、「主観」・「先入観」という曇ったメガネで見たため、富士山の自然の雄姿を目前にしても素直に感動することができなかったのであろう。

 富士山の自然の姿は、江戸時代も現代も変わらず優雅に聳える。いつ、何処から見ても、白雪を被った富士山の雄姿は魅せられるものがある。

 筆者は、現在東京の郊外、東大和市の高層アパートの一室に居住している。ベランダから奥多摩の山稜線上に聳える富士山を遠望することが出来る。

 これまで朝夕、富士山の写真を撮りつづけてきた。

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      筆者がベランダから撮った富士山
 
 富士山の自然の風景は、昔も今も変わらず、朝鮮通信使が述べたように”世界に並ぶものがない"日本を象徴する名山である。
   つづく

 追記、筆者の富士山の記事は、「東大和どっとネット」の”まちで遊ぶ”・「玉川上水駅周辺の風景」に掲載しています。「富士山と夕日と雲」シリーズをご覧下さい。。



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