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    津まつりの唐人行列・唐人踊り


 朝鮮通信使一行が、尾張名古屋を離れるとひたすら東海道を岡崎、浜松と東に進み江戸へ向かう。
 したがって、津や鈴鹿(三重県)は東海道の沿道から外れているため朝鮮通信使は通らなかった。

 ところが、不思議なことに津市や鈴鹿市に、朝鮮通信使の行列を真似た「唐人行列」、「唐人踊り」が、江戸時代から今日に至る400年もの間、練錦として続けられているのである。(江戸時代の唐人は異国人・外国人を指し、朝鮮人を唐人と呼んだ)

 津まつりに登場する19町村の山車の中で、ひときわ異彩を放つのが分部町の唐人行列、唐人踊りで、江戸時代の朝鮮通信使の身なりを真似たものである。

 行列の主人公らはそれぞれ喜・怒・哀・楽の面をつけ、黄・白・赤色の上着、虎皮模様のズボン、笠、わらじをつけて登場する。

 止まってはラッパを吹き、笛やかね、太鼓の音に併せて、町中をユーモアあふれる仕草で練り歩き、辻々で「歓喜の踊り」を披露する。

 津まつりに登場する分部町の唐人行列・唐人踊りとは どのようなものか、12枚の画像を組み合わせてストーリー風に編集して見た。

  

 津まつりの唐人行列・唐人踊りの雰囲気でも味わえればと、敢えて作成したもので、実際のものと違いがあることを了解していただきたい。

 それでは、いつから、どうして、津市や鈴鹿市で通信使を真似た唐人行列、唐人踊りが行われるようになったのか?

 なぜ、津市と鈴鹿市の唐人行列・唐人踊りだけが断絶することなく、今日までつづけられているのか? 

 それらの理由を、次回以降の記事に記したい。

 つづく
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