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      馬上才(ばじょうさい)

    馬上10
      馬上才図 浮世絵師鳥居清信肉筆

 馬上才とはなにか?

 見たことも、聞いたこともない人が多いと思われる。
 
 馬上才とは、走る馬の上で曲芸する人・見世物のこと、馬上のサーカスと言えるかも知れない。
 
 馬上才の起源は定かではないが、朝鮮半島では「マサンゼ」と呼ばれ、高麗時代(9世紀~14世紀)には行われたと推定されている。
 
 朝鮮朝(李朝)時代、兵士たちの軍事訓練の種目として、馬戱、曲馬、馬演技と呼ばれ、妙技を競う競技も行われたことが記録されている。
 
 朝廷の訓練都監では、武班(軍官僚)の科挙(登用試験)に武技とともに馬上才がとり入れられた。
 
 朝鮮朝10代王・燕山君が、ソウルの살꽂이[箭串]で馬上才を競う大会を観覧したとされている。

 18世紀に発刊された『武芸図譜通誌』には、馬上才6種目が記録されている。

 将軍・家光は、「国書偽造・改ざん」、柳川事件の取り調べ中に馬上才の観覧を所望し、突然に対馬藩主・宗義成に朝鮮国に馬上才派遣を要請する交渉を命じたのであった。
 見た人がいなかった江戸時代、家光がどうして馬上才を知ったか、なぞである。
 
 家光の命令は、義成の朝鮮と交渉能力を試すものであったが、義成の使者・藤原知縄は朝鮮に渡り、馬上才の派遣要請の任務を無事に果たした。
 
 朝鮮側の馬上才派遣の決定は、家光の強い要望もさることながら、「国書偽造・改ざん」事件で張りつめた外交上の緊張をゆるめ、日朝間の交隣関係の正常化を願ってのことであった。
 
 朝鮮朝廷は、馬術に堪能な金貞(キムジョン)、張孝仁(チャンヒョイン)の馬上才と駿馬二頭、そして日本に派遣されたことのあるベテランの通訳官・洪喜男(ホンヒナム)、崔義吉(チェイギル)を同行させた。
 
 1635年、日本に初めて馬上才一行がやってきた。

 馬上才・曲馬上覧の直前、家光は「国書偽造」事件の裁決を行い、義成勝訴でこの事件の終止符をうった。
 
 江戸城の矢代州川岸(現馬場先門跡あたり)に臨時の朝鮮馬場を造り、側に桟敷が設けられた。
 
 将軍家にとって、2年にわたる外交上の暗雲をとりはらった後の爽やかな気分の屋外での観覧行事となった。
 
 家光をはじめ尾張、紀伊、水戸の御三家、諸大名、老中、旗本、御家人ら見守る中、最初の馬上才が行われた。

  馬上演技
     江戸城馬上才図 高麗美術館所蔵
 
 馬上才の二人は、2頭の馬に立乗りし右手に鞭、左手にもった颯爽とした衣装で登場し、立乗りしたり、逆立ちしたり、走る馬の上で仰向けになったり曲馬の妙技を披露した。

 馬上8 馬上7

 馬上6 馬上2
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 動画がなかった時代のこと、当時の画師が描いた絵から想像してもらいたい。

 家光上覧の馬上才・朝鮮馬芸は大成功であった。たちまちにして馬上才のことが全国に知れわたり、絵や印籠、装飾品にも登場した。

 将軍から白銀300枚、小袖20の土産が馬上才に贈られた。
 
 馬上才一行は、出発するときの緊張とは打って変わり、役目を果たした安ど感に浸りのどかな帰還の旅となった。
 
 朝鮮朝廷は、彼らが江戸滞在中に柳川事件が解決して、対馬が仲介する日朝間の外交が正常化するという何よりの土産を持ち帰ったことに満足したのであった。

  馬上9

  以後、朝鮮通信使一行のメンバーに馬上才が編入されて、日本の各地で披露さるようになった。
       つづく
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