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2017.03.01 高麗の里92
    「コマ」の地名が残る場所4

  木津川
     高麗寺跡 麓を流れる木津川
       
     高麗寺跡(こまでらあと) 
 
  山城国相楽郡南山城村
 現在の京都府木津川市山城町上狛高麗寺、

  寺跡
     高麗寺跡  入口付近

 高麗寺は、木津川を見下ろす山城町上狛台地の田園の中に建つていた、
 今から約1400年前、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建されたと推測されている。
 高句麗からの渡来氏族・狛(高麗)氏の氏寺として建立されたと考えられている。
 相楽郡には上狛郷、下狛郷の2郷があり,一帯に高句麗・狛(高麗)人集落が数多くあったようである。
 1938年,はじめて高麗寺跡が発掘された。その後、今まで9回の発掘調査が行われたと云う。
 西に金堂・東に塔・周りを回廊に囲まれた発起式伽藍配置になっていた。
 創建時は飛鳥寺と同じ軒瓦が使われていた。その後の造営で斉明天皇の菩提寺・川原寺と同じ軒瓦をふくめ、平安時代まで39種の瓦が使われたことが分かった。

概略図 寺跡地図

 天平年間に高麗寺の僧・栄常は、寺に起居していた白衣の者(朝鮮民族を白衣民族と呼ぶ)と囲碁を打った云う説話が残っている。 『日本霊異記』(822年)
 高麗寺は、白鳳期から平安時代まで存続したが、その後,廃寺となり現在の高麗寺跡になったと推測されている。
 『日本書紀』によれば、「相楽郡に高麗国使のために迎賓館として相楽館、高楲館があった」ことが記されている。
 現在でも山城町に「上狛」という地名があり、JR奈良線に「上狛駅」がある。
 高麗寺跡は、国の史跡に指定され 京都府の最古の遺跡であるいるという。
 それにしても、「高麗寺」の寺名がそのまま残っていることは全国的にも珍しいことでもある。
 そして、奈良県と隣接する京都府木津市山城の高麗寺跡は、古代の歴史のロマンを感じる所になっているらしい。高麗寺跡を訪れる人が増えているという。

  発掘調査
     高麗寺跡  発掘調査風景

 筆者が「高麗の里」をブログ記事に載せるようになって、歴史マニアや渡来人の歴史に関心を持つ人たちから、「山城の高麗寺と高麗郡とは関連があるのか?」と質問されたことがある。
 京都山城の高麗寺は、すでに定着していた旧高句麗(高麗人)により建立されたもので、高句麗滅亡後、716年に建郡された高麗郡とは1世紀以上の時代的違いがあり、世代も代わっていることから、山城の高麗寺と武蔵国の高麗郡とは何ら関連がないと応えている。
  
  秋の風景
     高麗寺跡  初秋の風景

 現在、秋の高麗寺跡は彼岸花(曼珠沙華)が咲き乱れる観光スポットになっているらしい。
 
 「コマ」の地名が残る場所は、神奈川県大磯町の「大住郡高麗」、東京都狛江市の「多摩郡狛江郷」、埼玉県児玉郡の「駒衣」、奈良県桜井市の「狛」等々がある。つづく
 
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