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2017.02.20 高麗の里90
     「コマ」の地名が残る場所2       
      
   アルプス
     南アルプス 麓に高麗人が定住した  
  
   甲斐国巨摩郡(こまぐん)
 近世まで甲斐国は4郡で構成されていた。巨摩郡は西部にあたる甲府盆地と南アルプス地域に相当する。
 現在の韮崎市 、南アルプス市、北杜市 、甲斐市、中巨摩郡、甲府市の一部 、中央市の一部 、南巨摩郡の一部を包括する広大な地域である。

 巨摩郡から高句麗系渡来人の墓制である積石塚古墳が多数発見された。また、 天狗沢瓦窯跡(甲斐市天狗沢)からは高句麗系軒丸瓦が出土している。
 これらの遺跡や出土品から、高句麗からの渡来人(高麗人)集団が早くからこの地に定住したことが明らかになった。
  中でも、笛吹市石和町の大蔵経寺山古墳群は、5世紀にまでには高句麗からの集団移住があったと推測されている。
 668年、 高句麗滅亡によって、難民となった高麗人が新しく巨摩郡に移り住み、新旧の高麗人がこの地域に定着することになったと推測される。
 巨摩郡の地名は、この地域に多くの御牧(牧場)が存在し、馬(駒)を産出したことから「コマ」=「駒」=「巨摩」となったとする「駒説」が最近まで有力であった。

  甲府盆地
        甲府盆地 

 戦後、関晃氏の『上代特殊仮名遣の研究』により、「駒」のコは甲類、「高麗」のコは乙類で、乙類の「巨」に一致する「高麗説」が妥当とされるようになった。
 また、高句麗系の渡来氏族大狛連(狛造)の本貫地である河内国大県郡巨麻郷や若江郡巨麻郷に「巨麻」が当てられていることから、巨摩は高句麗(高麗)を意味することが明らかになった。

  img012.jpg
     桃の花咲く甲府盆地
 
 716年、高麗郡設置にともない、東国7国から高麗人1799人が武蔵国高麗郡に移住した。
 甲斐国巨摩郡からは、新しく定着した高麗人が高麗郡に移住して行ったと推測されている。
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