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2016.11.28
高麗の里77
高麗王杯騎射競技大会1

高句麗壁画に描かれた「馬射戯図」が飛び出し、騎射競技大会として高麗の里に復活した。
高麗郡建郡1300年を記念して、
11月26・27日の両日、晩秋の日高市高麗本郷巾着田で第5回高麗王杯騎射競技大会が行われた。
騎射競技は馬射戯(まさひ)競技のことである。
馬射戯は、流鏑馬(やぶさめ)と同じく疾走する馬上から矢で的を射る競技であるが、
馬射戯と流鏑馬は弓矢の長短など微妙な違いがあるらしい。流鏑馬は神事として行われることが多い。
筆者は、今まで流鏑馬も見たことが無かったので、興味深々の思いで初日の騎射競技大会見学に駆けつけた。

会場に着くと「高麗郡タイムス」号外を手渡された。
そこに馬射戯競技大会の由来について、
「古代朝鮮半島に君臨した大国・高句麗。徳興里壁画古墳(現在の朝鮮民主主義人民共和国・大安市)の棺を納めた玄室の壁画に『馬射戯図』が描かれている。現存する中では騎射競技を描いた最古のものといわれ、当時すでに武芸鍛錬のひとつして行われていたことがわかる。

高句麗壁画古墳 朝鮮・大安市徳興里
馬上の二人の騎手が五つの的を射るシーンで、中央には記録係と検見役(審判)とみられる三人も描かれている。『高麗王杯馬射戯騎射競技大会』は、この『馬射戯図』から現代に蘇らせた『騎射競技』なのだ。そして今年で五回目を迎え、高麗郡建郡1300年を記念してこれまで以上に競技が盛り上がる。」と書いてあった。

競技大会には日本から4人、韓国から5人、ゲストとしてマレーシャから2人、計11人の騎手が参加した。
注目が集まったのは日本と韓国の2人の美人女性騎手の出場であった。

次の記事で馬射戯騎射競技の様子を動画で見せます。

高句麗壁画に描かれた「馬射戯図」が飛び出し、騎射競技大会として高麗の里に復活した。
高麗郡建郡1300年を記念して、
11月26・27日の両日、晩秋の日高市高麗本郷巾着田で第5回高麗王杯騎射競技大会が行われた。
騎射競技は馬射戯(まさひ)競技のことである。
馬射戯は、流鏑馬(やぶさめ)と同じく疾走する馬上から矢で的を射る競技であるが、
馬射戯と流鏑馬は弓矢の長短など微妙な違いがあるらしい。流鏑馬は神事として行われることが多い。
筆者は、今まで流鏑馬も見たことが無かったので、興味深々の思いで初日の騎射競技大会見学に駆けつけた。

会場に着くと「高麗郡タイムス」号外を手渡された。
そこに馬射戯競技大会の由来について、
「古代朝鮮半島に君臨した大国・高句麗。徳興里壁画古墳(現在の朝鮮民主主義人民共和国・大安市)の棺を納めた玄室の壁画に『馬射戯図』が描かれている。現存する中では騎射競技を描いた最古のものといわれ、当時すでに武芸鍛錬のひとつして行われていたことがわかる。

高句麗壁画古墳 朝鮮・大安市徳興里
馬上の二人の騎手が五つの的を射るシーンで、中央には記録係と検見役(審判)とみられる三人も描かれている。『高麗王杯馬射戯騎射競技大会』は、この『馬射戯図』から現代に蘇らせた『騎射競技』なのだ。そして今年で五回目を迎え、高麗郡建郡1300年を記念してこれまで以上に競技が盛り上がる。」と書いてあった。

競技大会には日本から4人、韓国から5人、ゲストとしてマレーシャから2人、計11人の騎手が参加した。
注目が集まったのは日本と韓国の2人の美人女性騎手の出場であった。

次の記事で馬射戯騎射競技の様子を動画で見せます。
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