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2016.01.26 高麗の里37
         「在日白衣民族の聖地」 3

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      聖天院本堂全景  澤田政廣作  釈迦如来像が安置されている  

 ハ・ジョンウン(河正雄)さんは、ユン・ピョンド(尹炳道)さん に協力して、「在日白衣民族の聖地」建立に貢献した在日同胞二世である。
 ハさんは大阪布施市(現東大阪市)生まれ、布施朝鮮学校に入学、小学2年のとき秋田県仙北市に移住,生保内小学校に転校、生保内中学校を経て、秋田工業高校を卒業する。日本生まれ、日本育ちの在日同胞ある。、
 ハさんは、在日同胞の立場から、日本と韓国を往来し、両国の友好・親善のために活躍、文化交流に貢献している。彼の活動の内容については自身のホームページか、著書「韓国と日本 二つの祖国に生きる」(2002年明石書房)をよんで欲しい。
 この記事では、ハさんが聖天院と「在日白衣民族の聖地」の建立に如何に貢献したか、具体例をいくつか挙げてみる。

 1998年7月、釈迦如来像がハさんの家から聖天院本堂に納められ、安置された。この釈迦如来像は澤田政廣氏(文化勲章受章)の最後の作品である。1982年、ハさんは澤田氏を訪ね、釈迦如来像の制作を依頼したのであるが、88歳の高齢であったため約束できないと断られるが、「20世紀の時代に日本国内で不幸にして亡くなられた、我々の先輩や先祖の慰めるための仏像を彫って欲しい]というハさんの熱意にほだされ、承諾制作されたものである。その3年後の1985年、像が引き渡されるとき澤田氏は、「これが私の最後の作品になるかもしれないね」と言われた。その3年後の1988年93歳で旅立たれた。
 ハさんは「この像には先生の全霊が込められているのだと思い、感謝の念を強くした。」と書いている。

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             在日韓民族慰霊塔・慰霊碑

 ハさんはまた、自宅の庭に置かれてあった「羊の石像」2像を「在日白衣民族の聖地」の誕生にあわせて、 慰霊碑前と高麗王廟前に配置した。この「羊の石像」は、新羅時代(BC1世紀~AD10世紀)に造られたもので、ハさんが1980年代初め、たまたま京都平安神宮前の美術商で見つけ手に入れたものであった、「羊の石像」はもともと朝鮮の高貴な人の墓の守り神として安置されいたが、植民地時代の朝鮮から日本に持ち出されたものであるらしい。、
 ハさんは、「韓国の風波の歴史の証人である「羊の石像」は韓民族無縁の霊碑を守護することになったことは、本来の役目を担うために収まる場所に収まったのではないかと」、胸をなでおろしている。
 
 ハさんはまた、秋田県角館の枝垂桜5本を、少年時代過ごした母校の先輩の好意を受けて送ってもらい、在日韓民族慰霊塔・慰霊碑の両側、聖天院新本堂前、高麗王廟前に記念植樹した。秋田県角館の枝垂桜は国の天然記念物に指定されている。江戸時代から庶民に親しまれてきた桜であるらしいが、筆者はまだ見たことがない。満開の頃に撮影して、ブログに掲載したいと思っている。
 在日韓民族慰霊塔の下に設けられた納骨堂の壁面に、五大陸の平和を祈る「祈願の形象ー平和の使者・鳩」と題するブロンズの浮き彫りにが造られている。韓国韓南大学教授・パク・ピョンヒの作品で、この地に設置した理由をハさんは「海峡を越えて魂だけでも自由に往来し、羽を休めて欲しいという念願からであり、未来の春をしのび慰霊のよすがになることを祈願するためである。」と述べ、、同じ作品が秋田県田沢湖町田沢寺の朝鮮人無縁仏を慰霊する「よい心の碑」壁面と韓国光州市立美術館の壁面にも設置されているという。

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       聖典院勝楽寺山門と門前に広がる高麗の風景 本堂前から撮影

 ハさんが貢献した一つ一つは、由緒ある聖天院に相応しいものであり、金や物質的な価値では計れない真心がこもっている。この真心が、無援仏を供養する「在日白衣民族の聖地」の建立へとつながっていったのだろう。筆者はユンさんやハさんの真心に共鳴するとともに、限りない感動をおぼえている。つづく
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