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2015.11.29
高麗の里31
「朝鮮通信使」を世界記憶遺産登録へ

川越唐人揃いパレード参加者全員集う 運馨寺境内
朝鮮通信使は室町時代(1338~1573)から始まった。この時代の日朝関係は対等に礼をとる交隣関係にあった。通信使は3回渡来し,頻繁に交易も行われていた。 しかし、豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争(1492~97)によって日朝間の国交は断絶した。
江戸に幕府を開いた徳川家康は隣国との平和友好外交を押しすすめ、対馬藩宗氏を通じて国交の回復に努めた。その結果1607年、朝鮮国王から徳川将軍への使節が派遣されるようになった。それが「朝鮮通信使」で「通信」とは「信(よしみ)を通わす」「誠信の交わり」という意味であった。
以後、江戸時代に12回、毎回正使、副使、従事官と他に学者・文人・医者等400~500名の大使節団が来日した。国書の交換による国家間の外交をはじめ学問・芸術を通じた幅広い文化交流が実現した。
通信使が通る沿道では行列を一目見ようと人垣ができ、往復の道中ではさまざまなレベルの民間交流も行われた。宿舎には文人たちが交流をもとめて押しかけたと云われる。隣の国との友好的な交流が200年以上も継続し、善隣友好・平和を作り出したことは世界史上でも希なことである。

朝鮮ソウルー日本江戸まで朝鮮通信使の経路
ソウルー釜山―対馬―壱岐―相ノ島(あいのしま)―下関―瀬戸内海―大阪―京都ー東海道ー江戸―日光
「朝鮮通信使」の遺産が書・絵画・絵巻・屏風等さまざまな形で各地に残されている。
岡山県邑久郡牛窓町には、「唐子踊り」と呼ばれる童子踊りが伝わり、岐阜県大垣市竹島町には「朝鮮やま」と呼ばれる山車行列の衣装や道具が残されている、

朝鮮通信使の遺産 岡山県牛窓町の「唐子踊り」
現在、日韓が協力して朝鮮通信使の関連文章をユネスコの世界記憶遺産に登録しょうとしている。
2014年3月、対馬市をはじめ栃木県までの「朝鮮通信使」ゆかりの市・町の15の自治体などでつくるNPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(事務局 長崎県対馬市)が発足、韓国側と協力して関連資料の記憶遺産登録を2016年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請、17年の登録を目指して活発に活動している。

多文化共生・ 民族衣装姿の踊りの輪が広がる
朝鮮通信使は善隣友好の素晴らしい歴史遺産である。必ずユネスコの世界記憶遺産に登録されると筆者は確信している。なぜなら、ユネスコの理念に適うものであり、世界何処の国も戦争のない友好・親善・平和を望んでいるからだ。

川越唐人揃いパレード参加者全員集う 運馨寺境内
朝鮮通信使は室町時代(1338~1573)から始まった。この時代の日朝関係は対等に礼をとる交隣関係にあった。通信使は3回渡来し,頻繁に交易も行われていた。 しかし、豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争(1492~97)によって日朝間の国交は断絶した。
江戸に幕府を開いた徳川家康は隣国との平和友好外交を押しすすめ、対馬藩宗氏を通じて国交の回復に努めた。その結果1607年、朝鮮国王から徳川将軍への使節が派遣されるようになった。それが「朝鮮通信使」で「通信」とは「信(よしみ)を通わす」「誠信の交わり」という意味であった。
以後、江戸時代に12回、毎回正使、副使、従事官と他に学者・文人・医者等400~500名の大使節団が来日した。国書の交換による国家間の外交をはじめ学問・芸術を通じた幅広い文化交流が実現した。
通信使が通る沿道では行列を一目見ようと人垣ができ、往復の道中ではさまざまなレベルの民間交流も行われた。宿舎には文人たちが交流をもとめて押しかけたと云われる。隣の国との友好的な交流が200年以上も継続し、善隣友好・平和を作り出したことは世界史上でも希なことである。

朝鮮ソウルー日本江戸まで朝鮮通信使の経路
ソウルー釜山―対馬―壱岐―相ノ島(あいのしま)―下関―瀬戸内海―大阪―京都ー東海道ー江戸―日光
「朝鮮通信使」の遺産が書・絵画・絵巻・屏風等さまざまな形で各地に残されている。
岡山県邑久郡牛窓町には、「唐子踊り」と呼ばれる童子踊りが伝わり、岐阜県大垣市竹島町には「朝鮮やま」と呼ばれる山車行列の衣装や道具が残されている、

朝鮮通信使の遺産 岡山県牛窓町の「唐子踊り」
現在、日韓が協力して朝鮮通信使の関連文章をユネスコの世界記憶遺産に登録しょうとしている。
2014年3月、対馬市をはじめ栃木県までの「朝鮮通信使」ゆかりの市・町の15の自治体などでつくるNPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(事務局 長崎県対馬市)が発足、韓国側と協力して関連資料の記憶遺産登録を2016年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請、17年の登録を目指して活発に活動している。

多文化共生・ 民族衣装姿の踊りの輪が広がる
朝鮮通信使は善隣友好の素晴らしい歴史遺産である。必ずユネスコの世界記憶遺産に登録されると筆者は確信している。なぜなら、ユネスコの理念に適うものであり、世界何処の国も戦争のない友好・親善・平和を望んでいるからだ。
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