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2014.12.25 高麗の里20
        「高麗の里」はどこか?
  
  飯能市
                 飯能市中心街

  上の写真は天覧山(明治天皇登頂)から飯能市を撮影したもの、

  1300年の昔、この地が深い樹林に覆われた未開の原野であったことが

  想像できますか?

  716年、この未開地に高麗郡が設置され高句麗からの渡来人が入植し開拓を始めた。

  高麗郡は上総郷と高麗郷(現日高市の一部)の二郷からなり、

  上総郷が現飯能市に比定される。

  開拓当初の高麗人の苦労は大変なものであっただろう。彼らは本国で学んだ

  知識や技術力を生かして困難を克服しながら一歩一歩開拓を進めていったものと

  思われる。そして、世代をついだ長い年月たゆまない努力により

  高麗郡の開拓地は紆余曲折を得ながら発展しつづけた。

  そして、時代が進むにつれて、開発地は郡境を越えて周辺に広まっていった。

  高麗郡の発展と人口増加は高麗郡周辺に留まらず、新たな開拓地を求めて

  武蔵野全域・関東一円に移住していったものと思われる。

  また、高麗王若光を祀る高麗神社の別称である白髭神社の分社が関東一円にあり、

  若光の菩提寺である高麗山聖天院勝楽寺の末寺が武蔵野の各地に残っているは、

  高麗人が各地に移住して開拓していった地域であるからだろう。

  地名辞典を見ると「江戸時代の(高麗)郡境は北と東は入間郡、西は秩父郡、

  南は多摩郡に接し、現在の日高市。飯能市の大部分と川越市・入間市・狭山市

 ・鶴ヶ島市・坂戸市の一部にあたる」
と記している。

  1887年(明治29年)高麗郡は入間郡に併入された。

  そして、1955年(昭和30年に高麗村・高麗川村が合併して日高町となり、

  1991年(平成3年)市制の施行により日高市となった。

  したがって、1300年前に建郡時の高麗郡は、現在の日高市と飯能市である。

  この両市は東京に近いため開発・宅地化の波が押し寄せ、

  急速に昔の風情が失われていった。

  高麗地図1
       「高麗の里」はJR八高線より左側  高麗文康氏小説より引用

  それでは、「高麗の里」とはどの地域を指すのだろうか?

  現実的にはここだと指定できる「高麗の里」の地域はないのである、

  筆者がイメージした「高麗の里」は、西武線高麗駅から高麗山聖天院勝楽寺、

  高麗神社まで、日和田山から高麗川流域までの間、

  巾着田と出世橋付近まで
の狭い範囲である。

  このあたり一帯だけが、のどかな田舎の風景を残し、往時を偲ばせてくれる。

  高麗川
       高麗川   出世橋より撮影

  現在の「高麗の里」は狭い範囲にすぎないが、高麗人が開拓した領域は

  広大な武蔵野台地に広がり、そこに無数の痕跡(地名・遺跡・文化)を遺した。
つづく
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