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2016.04.24 高麗の里47
    「高麗王若光碑」建立


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               高麗神社本殿

 高麗神社に新たな記念碑・「高麗郡建郡1300年高麗王若光碑」が建立された。
 2016年4月23日、建立除幕式・式典が高円宮妃久子殿下をはじめ、文科省大臣、駐日韓国大使、日高市長、(一社)高麗1300理事長、高麗神社宮司、高麗若光の会会長ら多数の来賓参席のもと厳かに行われた。筆者も案内状をもらい同席した。
「高麗王若光碑」は高麗神社前の鳥居横に建立された。

 除幕 (2)
      高麗若光の会や関係者による除幕式 

 記念碑は名石・小田原産の根府川石が使われた。台座を除いて縦1㍍40㌢、横2㍍の長方形。碑の中央上部には高句麗の始祖王・朱蒙(東明王)が旗印にしたシンボル「三足烏=八咫烏(やたからす)」が刻まれている。

  
 碑文には『続日本紀』から引用した「西暦703年4月4日、従五位下高麗若光に王姓を賜る」「西暦716年5月16日 駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野、七国の高麗人1799人を武蔵国に住まわせたのが高麗郡の始まり」という意味の言葉が、 裏面には、碑建立協力者223人の名前が刻まれている。


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            高麗郡建郡1300年記念 高麗王若光碑

 この「高麗王若光碑」建立に尽力・貢献したのは「高麗若光の会」(会長朴仁作)である。
 「高麗若光の会」(略称若光の会)は、最初、埼玉県在住の在日コリアン同胞と日本人歴史愛好家有志が集まり勉強会を開いたことからはじまる。この勉強会を通じて、高麗王若光が率いる高句麗からの渡来人(高麗人)による高麗郡開拓の歴史と、若光を祀る高麗神社の宮司を高麗家嫡子が今日の60代高麗文康に至るまで、脈々と受け継がれてきた高麗神社縁起に深い感銘を受けたと云う。
 2010年、朴仁作会長の呼びかけで正式に「若光の会」を発足し、十数名のメンバーで出発した。
 その後、「若光の会」は高麗郡の歴史を研究する中で、歴史的文化遺産を保存・継承問題と、高麗郡建郡の歴史的意義や民間の日朝文化交流の大切さについて認識を深めた。
 その過程で、高麗郡建郡1300年を迎えて、会員の中から「在日同胞として何か寄与・貢献でるのではないか」といった声が高まり、諸案の中から「高麗王若光碑」建立が決まったと云う。
 その間、「若光の会」は、会報誌「若光通信」を発行し、多彩な活動を通じて高麗郡建郡1300年と高麗若光の善隣友好の思いをピーアールし、北海道から九州に至る全国的に会員を200余名に増やした。また、多くの在日同胞から賛同と共に記念碑建立資金を得ることになった。また、少なからず日本人有識者からも積極的な支援を受けて今回の記念碑建立に至った。
 朴仁作会長は、式辞で「『渡来から未来へ』、本日完成いたしました記念碑が両国の友好のシンボルとして、東アジアの平和の礎として次の時代を担う人々に大きく育まれていくことを念願せずにはいられません」と述べた。
 「高麗王若光碑」の建立は、5月16日、高麗郡建郡1300年記念を迎えて、建郡祝賀ムードを盛り上げる在日同胞側からの貴重な祝いの贈り物・貢献となった。
 「若光の会」は、これからも日朝・日韓の善隣友好の架け橋となり、東アジアの平和構築のために様々な文化交流・活動を展開していく決意を新たにしている。
 金栄振理事長は、「高麗若光が日本に来た7世紀の東アジアは、正に戦乱の中混沌ととした情勢でありました。しかし高麗若光は高麗郡の建郡と周辺一帯の開拓を通じて善隣友好と平和をこの地にもたらしました。昨今の東アジア情勢も決して良いものではございませんが、いつ、どのような情勢でも平和を愛し、隣人を慈しむ心があれば、皆が手を携えて生きていけることを高麗若光は教えてくれたと思います」と力強く語った。 


    高麗王若光像2
        高句麗若光王像  聖天院勝楽寺本堂横に立つ
    昭和記念公園のチューリップ

 羽村のチューリップ畑につづいて
 昭和記念公園のチュウーリップを見学した。
 密集した羽村のチューリップ畑と対照的に


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           羽村のチューリップ畑

 昭和記念公園のチューリップは分散的に植えられている、、
 それが、洋芝・樹・水を背景に鮮やかに映り、幻想的な風景を醸し出している、 
 まるで、 広い公園全体が一つの芸術的作品のようである、
 歩いていると夢の世界を浮遊しているような錯覚に陥る、
 パラパラとご覧ください。


 記念のチュー

 昭和記念公園はチューリップの他にも色々な花がさいている、
 近日中にまた行って見たい。

      羽村のチューリップ祭り2


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   さいた さいた チューリップの花が
  ならんだ ならんだ 赤・白・黄色
  どの花見てもきれいだな!

  童謡に歌われるチューリップは赤・白・黄色の3色、
  今、品種改良されたチューリップの色は数えきれない、、
  その中から7色を選んでみた。 
  パラパラとご覧ください。
 

  7色の花
   

    時代が代わり、品種改良でいろいろな色が増えても、
  チューリップの歌は赤・白・黄色の3色まま、いつまでも、
  幼児たちに歌いつづけられるだろう。、
      羽村のチューリップ祭り1

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 今年もチューリップが見頃の季節を迎えた、
 昨年につづいて羽村のチューリップ畑を見学した。

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 玉川上水駅から拝島経由で羽村まで、わずか3,40分、
 駅からは徒歩約20分で多摩川沿いの現地に到着する、

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 水田の裏作として、64品種・約40万の球根が植えられ、
 関東最大級のチューリップ畑と言われている。

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 今年は全景を見晴らせる展望台も設けて、
 また、鯉のぼりをあげ趣向を凝らしてあった。

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 好天に恵まれ、最盛期であったこともあって、
 色とりどりのチューリップが一層鮮やかであった。

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 羽村のチューリップ祭りは年々規模が大きくなり、
 人出も多くなっているようだ。つづく
2016.04.14 高麗の里46
        巾着田・菜の花祭り2


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  巾着田は日本列島のほぼ中心に位置していると言われている。
 巾着田は高麗川の流れが蛇行して巾着のように見えることからこの名が定着したようだ。
 1300年前,この地は名もなき未開の原野であった。
 高麗郡が設置されて入植した高麗人(高句麗人)がこの地の開拓をはじめた。
 それから1300年、年間数万、数十万の観光客が押し寄せる有名な所となった、
 菜の花の咲くこのシーズンは巾着田はまさに桃源郷である。
 前回の記事、巾着田・菜の花祭りでは、「虹のパレード」をパラパラとご覧いただいたが、
 今回はパレード以外のところで撮った巾着田の絶景をじっくりとご覧下さい。


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 巾着の春 (3)

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 筆者はこの日、舞台の公演も見学し、屋台の高麗鍋も食した。
 心身共に癒され満足感を抱いて帰路についた。
2016.04.10 高麗の里45
       巾着田・菜の花祭り

 今日4月10日、高麗の里にある巾着田で催された菜の花祭りを見学してきた。
 巾着田の土手に咲く白いさくらと黄色の菜の花、
 そして背景の山の緑が見事に調和した風景は、なんとも言いようのない絶景であった。
 桜並木と菜の花畑の間を縫うように虹のパレードがはじまった、
 きらびやかな衣装絵巻は別世界の夢を見ているような気分であった。
 興奮冷めやらぬ間の記事作成となった。
 パラパラとご覧ください。


   菜の花1

 今日の華やかな祭りを楽しむと共に1300年の昔、未開の原野であったこの地入植し開拓を始めた高麗人(高句麗からの渡来人)の苦難の歴史も忘れてはならないだろう。
動画を撮ってきたが、次の機会に公開したい。つづく
       平和広場の桜

 南公園の名木の桜が満開になり、遅咲きの紅桜も咲き始めた。
 また、平和広場のシンボル・「空襲変電所」両わきの花壇に
 植えられたチューリップをはじめ、色とろどりの花が咲き誇っている。
 「空襲変電所」をひと回りしながらスマホで撮った画像を
 パラパラとご覧ください。


 広場の桜

 4月8日、天気は少しな雲っていたが春の陽気があり、
 筆者にとって、この時期の平和広場は最も心和む憩いの場所となっている。
2016.04.07 高麗の里44
       高麗王・若光ウオーク

  高麗山2
         高来神社のある高麗山  神奈川県大磯町

1300年の時を超えて若光の足跡を辿ろう
キャッチフレーズで高麗郡建郡1300年を記念して神奈川県大磯町(高来神社)から埼玉県日高市(高麗神社)まで、4日間(2016年4月26日~29日)のウオークが行われる。
  このウオークについて

 716年 、武蔵国に東国七国から高句麗からの渡来人1799人が集められ、高麗郡が建郡されました 。その高麗郡初代郡司となった高麗王若光 の伝説は、神奈川県大磯町にも残っています。高麗郡建郡の際に、若光は大磯町からここ高麗の地にやってきたのではないか。相模も東国七国の一つでもあります。また高麗は大磯町から真北にあたります。そこで、高麗郡建郡 1300年を迎えた今、1300年前に想いを馳せ、若光が辿ったであろう大磯町から日高市へ歩いてみようと思い立ったのでした

案内チラシで参加を呼びかけている。
 
  
  ウオーク5
         高麗王・若光ウオークコース 大磯駅~高麗神社

  コースの予定時間、
 1日目(26日)、 JR大磯駅集合(10時半)~高来神社(出発式)~寒川神社~ 17:00海老名駅着予定(解散、宿泊)
 2日目(27日)、海老名駅 (小田急・相鉄線)東口・七重塔前 <集合・受付>⇒9:00出発~相模国分寺 (温故館) ~座間~相模原~ 17:00橋本駅着予定<解散・宿泊 >
  3日目(28日) 橋本駅(JR 横浜線・京王線 )北口前広場<集合・受付 >⇒9:00出発~相原中央公園~七国峠~富士森公園~二宮神社 (二宮考古館)~ 17:00福生駅(JR 青梅線 )着予定< 解散・宿泊 >
 4日目(29日)、東福生駅 (JR八高線) 東口公園 <集合・受付>⇒9:00出発~箱根ヶ崎~金子公民館~寺竹白鬚神社~駿河台大学~高麗横丁~飯能市観光案内所~高麗峠~巾着田~聖天院~ 17:00高麗神社着予定<到着式・打ち上げ >、全長約95km
 ウオークは駅を起点・終点にしているので、日帰り参加、宿泊して連日の 参加も可能である。 途中史跡や寺社を訪ね、地域の歴史にも触れる。
 
<参加募集案内 >
 若光隊・・・ 参加費/ひとり1,000円(2 日以上の参加 ) 事前申込み
 デイリー隊・・ 参加費/ひとり500円(1 日のみの参加 ) 事前申し込み、または当日申し込みも可、
  申し込み方法
 メール・ファックス・はがきで、一般社団法人高麗1300事務局・若光ウオーク係あて、参加日、住所、氏名、電話番号、生年月日を明記の上、「高麗王・若光ウオーク参加希望」と書く。個人、家族、グループ参加 OK,グループは代表者が取りまとめて申込む。


  高麗 (2)
           高麗神社 高麗王若光ウオーク終着地

  問い合わせは
  高麗1300 事務局 若光ウオーク係
  電話 :042-978-7432 FAX:042-978-7452
  E-mail: info@komagun.jp
     申し込み締め切り 4月16 日(土)

  筆者は体調を見ながら参加したいと思っている。
        川面に映るさくら

  4月1日、朝からテレビニュースは、東京のサクラが満開になったと伝えていた。
  そのニュースにつられて、玉川上水緑道散歩道に咲くサクラ見学に出かけた、
  しかし、7,8分咲きと云うとこで、満開とは言い難い状況であった、
  玉川上水駅南口から上流三つ目の金毘羅橋ー見影橋ー新家橋ー上宿橋まで、
  それぞれ橋上から撮ってきたきた、ブログに載せるものか迷ったのであるが、
  これからまた2,3日天気も良くないとの報道もあり、思い切って発信することにした。
  パラパラとご覧ください。
  画像の不備なところは、エプリルフールの出来事としてご容赦ください。

  
  上水のさくら