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2016.03.31
玉川上水緑道散歩2
足湯
玉川上水駅南口から下流に向かって約15分も歩くと 緑道脇に足湯(こもれびの湯)がある、
東大和市、武蔵村山市、小平市共同の衛生組合・清掃工場から出る温水を利用して造られたものである。
誰でも気軽に無料で入れるので、筆者はときどき散歩がてらこの足湯に浸かることがある。
この時期の緑道は新芽が吹き出し、桜・ふゆやなぎ・木蓮などの花が散歩する人の目を楽しませてくれる。
玉川上水駅南口から途中の「甦る水」を見学・足湯までの景色をパラパラとご覧ください

足湯に約20分も浸かると体全体がポカポカと温まり、
帰りの足どりが軽くなる。お勧めしたい散歩コースである!。
玉川上水駅南口から下流に向かって約15分も歩くと 緑道脇に足湯(こもれびの湯)がある、
東大和市、武蔵村山市、小平市共同の衛生組合・清掃工場から出る温水を利用して造られたものである。
誰でも気軽に無料で入れるので、筆者はときどき散歩がてらこの足湯に浸かることがある。
この時期の緑道は新芽が吹き出し、桜・ふゆやなぎ・木蓮などの花が散歩する人の目を楽しませてくれる。
玉川上水駅南口から途中の「甦る水」を見学・足湯までの景色をパラパラとご覧ください

足湯に約20分も浸かると体全体がポカポカと温まり、
帰りの足どりが軽くなる。お勧めしたい散歩コースである!。
2016.03.25
高麗の里43
高麗郡建郡1300年記念日迫る

昨年行われた「にじのパレード」フィナーレ 巾着田にて
いよいよ高麗の里・高麗郡が設置されて1300年の節目・記念日(5月16日)を迎える。
地元の日高市をはじめ、飯能市や狭山市、入間市、川越市等周辺は この日を盛大に迎えるために盛り上がっているようだ、
高麗郡建郡1300年記念事業委員会は、いろいろな事業を用意して多くの人の来訪を呼び掛けている。
ネットに載せられたイベントを紹介しておく、
* にじのパレード2016春 in 菜の花まつり
2016年4月10日(日)11:00~ 巾着田(日高市高麗本郷)

今年の「菜の花まつり」ポスター
*主催:高麗若光の会 高麗郡建郡1300年 高麗王若光記念碑建立式典
2016年4月23日(土)10:00~ 高麗神社(日高市)
* 高麗郡建郡1300年記念 高麗王・若光ウォーク
2016年4月26日(火)~29日(金・祝) 神奈川県大磯町~日高市(高麗神社)
*会員限定 高麗郡建郡1300年記念・マンガ出版記念パーティー
2016年5月14日(土)15:30~ 高麗神社(日高市)
主催:日高市 高麗郡建郡1300年記念祭(記念式典・アトラクション)
2016年5月21日(土) 日高市文化体育館
* ミュージカル つむぐこまひと
2016年5月21日(土)19:00開演(18:30開場) 高麗神社・神楽殿(日高市)
チケットは2月1日販売開始
* 高麗郡建郡1300年記念高麗郡建郡1300年記念祭「にじのパレード」
2016年5月22日(日) 日高市文化体育館(ひだかアリーナ)~市役所通り
主催:コリアンワールド 日本・コリア国際平和友好祭
2016年5月22日(日)15:00~ 高麗神社(日高市)
* 第13回渡来人の里フォーラム
2016年6月19日(日)13:00~
日高市文化体育館(ひだかアリーナ)

筆者は出来るだけ多くのイベントに参加して、
ブログ「日朝文化交流史」の「高麗の里」に掲載するつもりでいる。

昨年行われた「にじのパレード」フィナーレ 巾着田にて
いよいよ高麗の里・高麗郡が設置されて1300年の節目・記念日(5月16日)を迎える。
地元の日高市をはじめ、飯能市や狭山市、入間市、川越市等周辺は この日を盛大に迎えるために盛り上がっているようだ、
高麗郡建郡1300年記念事業委員会は、いろいろな事業を用意して多くの人の来訪を呼び掛けている。
ネットに載せられたイベントを紹介しておく、
* にじのパレード2016春 in 菜の花まつり
2016年4月10日(日)11:00~ 巾着田(日高市高麗本郷)

今年の「菜の花まつり」ポスター
*主催:高麗若光の会 高麗郡建郡1300年 高麗王若光記念碑建立式典
2016年4月23日(土)10:00~ 高麗神社(日高市)
* 高麗郡建郡1300年記念 高麗王・若光ウォーク
2016年4月26日(火)~29日(金・祝) 神奈川県大磯町~日高市(高麗神社)
*会員限定 高麗郡建郡1300年記念・マンガ出版記念パーティー
2016年5月14日(土)15:30~ 高麗神社(日高市)
主催:日高市 高麗郡建郡1300年記念祭(記念式典・アトラクション)
2016年5月21日(土) 日高市文化体育館
* ミュージカル つむぐこまひと
2016年5月21日(土)19:00開演(18:30開場) 高麗神社・神楽殿(日高市)
チケットは2月1日販売開始
* 高麗郡建郡1300年記念高麗郡建郡1300年記念祭「にじのパレード」
2016年5月22日(日) 日高市文化体育館(ひだかアリーナ)~市役所通り
主催:コリアンワールド 日本・コリア国際平和友好祭
2016年5月22日(日)15:00~ 高麗神社(日高市)
* 第13回渡来人の里フォーラム
2016年6月19日(日)13:00~
日高市文化体育館(ひだかアリーナ)

筆者は出来るだけ多くのイベントに参加して、
ブログ「日朝文化交流史」の「高麗の里」に掲載するつもりでいる。
2016.03.18
玉川上水沿線
富士山登頂

富士山が湖面に映る多摩湖の風景
3月Ⅰ7日快晴、筆者は後期高齢者仲間6人と一緒に富士山登頂を試みた。落後する者なく全員らくらくと頂上を征服した。すごいパワーのある老人たちと思われるだろうが、筆者をふくめて散歩はするが、低い高尾山も登れない状態の老人たちである。
それでは、どうして富士山登頂に成功したかというと、老人たちが容易に登れる高さ30mもない、人工の富士山に登ったのである。
その名は「荒幡の富士」、狭山丘陵の北側、西武遊園地の裏・埼玉県所沢市荒幡浅間神社内に盛土して造られている小山である。

荒幡の富士の頂上
荒幡の富士の全容
「荒幡の富士」が造られた由来については次のように伝えられている。
荒幡村(現在の所沢市荒幡)には浅間神社があった。そして小字ごとに三島神社・氷川神社・神明神社・松尾神社の4社に鎮守があった。村民氏子はそれぞれ分かれていたので、村内の民心の統一が図れないと憂い、1881年(明治14年)に浅間神社に合祀して、松尾神社の社地へ遷した。さらに村の和を増大させるため、旧浅間神社内にあった富士山をこの地に移築した。移築作業は村民がバケツを持ちより土を運んだといわれている。15年の歳月をかけて1899年(明治32年)「荒幡の富士」が完成した。
もはや、富士山どころか「低い山も登れない」とボヤク老人にお知らせしたい。普段、3000歩くらい散歩している人であれば「軽く登れる山だ!」、

「荒幡の富士」頂上から西部遊園地の大展覧車が見える
頂上を征服した爽快感と頂上からの眺望はきっと満足できると思われ、「荒幡の富士」登山をお勧めしたい。最寄りの駅は西武狭山線下山口駅、西部遊園地駅から徒歩30分~40分のところ。

富士山が湖面に映る多摩湖の風景
3月Ⅰ7日快晴、筆者は後期高齢者仲間6人と一緒に富士山登頂を試みた。落後する者なく全員らくらくと頂上を征服した。すごいパワーのある老人たちと思われるだろうが、筆者をふくめて散歩はするが、低い高尾山も登れない状態の老人たちである。
それでは、どうして富士山登頂に成功したかというと、老人たちが容易に登れる高さ30mもない、人工の富士山に登ったのである。
その名は「荒幡の富士」、狭山丘陵の北側、西武遊園地の裏・埼玉県所沢市荒幡浅間神社内に盛土して造られている小山である。

荒幡の富士の頂上

荒幡の富士の全容
「荒幡の富士」が造られた由来については次のように伝えられている。
荒幡村(現在の所沢市荒幡)には浅間神社があった。そして小字ごとに三島神社・氷川神社・神明神社・松尾神社の4社に鎮守があった。村民氏子はそれぞれ分かれていたので、村内の民心の統一が図れないと憂い、1881年(明治14年)に浅間神社に合祀して、松尾神社の社地へ遷した。さらに村の和を増大させるため、旧浅間神社内にあった富士山をこの地に移築した。移築作業は村民がバケツを持ちより土を運んだといわれている。15年の歳月をかけて1899年(明治32年)「荒幡の富士」が完成した。
もはや、富士山どころか「低い山も登れない」とボヤク老人にお知らせしたい。普段、3000歩くらい散歩している人であれば「軽く登れる山だ!」、

「荒幡の富士」頂上から西部遊園地の大展覧車が見える
頂上を征服した爽快感と頂上からの眺望はきっと満足できると思われ、「荒幡の富士」登山をお勧めしたい。最寄りの駅は西武狭山線下山口駅、西部遊園地駅から徒歩30分~40分のところ。
2016.03.11
東大和南公園3
春の訪れ

いよいよ春を思わせる菜の花が咲いていた。
東大和市南公園内にある旧日立航空機(株)変電所前、平和広場の両側に設けられた花壇である。この花壇はボランティアの人たちによって管理され、四季いろいろな花を咲かせている。菜の花は左側の花壇一角に真黄に咲いていた。
つい最近まで東大和市内や近辺のあちこちで菜の花を見かけた気がするが、近ごろはめったに見ることは無くなった。そのためか、小さな花壇の菜の花が珍しく、懐かしい気がしてならない。

右側の花壇には菜の花とは対照的な小粒の黄色のカンデユラ(冬知らず)の花が咲き始めていた。

菜の花が咲き始めた頃から公園平和広場を訪れる人が着実に増えている、
春がやって来たのだ!

いよいよ春を思わせる菜の花が咲いていた。
東大和市南公園内にある旧日立航空機(株)変電所前、平和広場の両側に設けられた花壇である。この花壇はボランティアの人たちによって管理され、四季いろいろな花を咲かせている。菜の花は左側の花壇一角に真黄に咲いていた。
つい最近まで東大和市内や近辺のあちこちで菜の花を見かけた気がするが、近ごろはめったに見ることは無くなった。そのためか、小さな花壇の菜の花が珍しく、懐かしい気がしてならない。

右側の花壇には菜の花とは対照的な小粒の黄色のカンデユラ(冬知らず)の花が咲き始めていた。

菜の花が咲き始めた頃から公園平和広場を訪れる人が着実に増えている、
春がやって来たのだ!
2016.03.06
高麗の里42
高麗の「ダイチャラボッチャ」伝

多摩湖 東京都民の水がめ 西部園側から撮影
筆者は以前、東大和市民ネットクラブの仲間と共に、多摩湖橋北岸の丘の上に置かれた「大多羅法師」(ダイタラボッチ)と云う大きな顔だけの石像を見学したことがあった、郷土史家から説明を聞き、また、ブログ「狭山丘陵の麓で」にも掲載されていたので「ダイタラボッチ」伝説については忘れずに覚えていた。

多摩湖畔の丘に置かれている「ダイタラボッチ」の顔 高さ約2m
因みに、多摩湖畔に立つ「タイタラボッチ」についての説明版に次のように記されている、
「大多羅法師は関東を中心として、東日本一円に伝えられる伝説上の大巨人のことです。湧き水出現にまつわる水神信仰と深い関係があります。
藤ツルでこしらえた籠で土を運んでいる時、ツルが切れて落ちて出来たのが富士山で、足を滑らせた時にはねあげた土が伊豆七島になったとか、スケールの大きな話が多くあります・・・大多羅法師はここで、都民の水がめである多摩湖の水を漏らさないように見守っているのです。」
今回、いろいろ調べるうちに「高麗の里」にも「ダイタラボッチ」によく似た「ダイチャラボッチャ」伝説があることを知った。その伝説とは

巾着田から日和田山を眺める
「昔、ダイチャラボッチャと云う人が、日和田山と多峯主山(二つの山はいずれも高麗の里にある)を天秤にかけて担いできた、そして高麗まで来ると疲れたので、ドッコイ一休みと日和田山をソッと置いたため、背の高い多峯主山がグッと低くなった、その時、足が汚れたのでので日和田山に腰をおろし、高麗川で足を洗った、それを新井(洗い)と云う、その時足を洗ったので水が飛んだ地を、また新井と云うと伝えている」 『武蔵野』3号 1918年発行

日和田山の麓を流れる高麗川
どちらの伝説も、大巨人を主人公にして、山・川・水と関連させているところが共通している。主人公の大巨人・「ダイチャラボッチャ」は、新しい土木技術をもって開発を進めた渡来人・高麗人ではなかったかと、筆者は勝手に想像している。
幼い頃に聞いた怖い話や面白い話は、歳とってからも忘れないものである、孫たちが来たら「ダイタラボッチ」・「ダイチャラボッチャ」の話をしてみようかと思っている。つづく

多摩湖 東京都民の水がめ 西部園側から撮影
筆者は以前、東大和市民ネットクラブの仲間と共に、多摩湖橋北岸の丘の上に置かれた「大多羅法師」(ダイタラボッチ)と云う大きな顔だけの石像を見学したことがあった、郷土史家から説明を聞き、また、ブログ「狭山丘陵の麓で」にも掲載されていたので「ダイタラボッチ」伝説については忘れずに覚えていた。

多摩湖畔の丘に置かれている「ダイタラボッチ」の顔 高さ約2m
因みに、多摩湖畔に立つ「タイタラボッチ」についての説明版に次のように記されている、
「大多羅法師は関東を中心として、東日本一円に伝えられる伝説上の大巨人のことです。湧き水出現にまつわる水神信仰と深い関係があります。
藤ツルでこしらえた籠で土を運んでいる時、ツルが切れて落ちて出来たのが富士山で、足を滑らせた時にはねあげた土が伊豆七島になったとか、スケールの大きな話が多くあります・・・大多羅法師はここで、都民の水がめである多摩湖の水を漏らさないように見守っているのです。」
今回、いろいろ調べるうちに「高麗の里」にも「ダイタラボッチ」によく似た「ダイチャラボッチャ」伝説があることを知った。その伝説とは

巾着田から日和田山を眺める
「昔、ダイチャラボッチャと云う人が、日和田山と多峯主山(二つの山はいずれも高麗の里にある)を天秤にかけて担いできた、そして高麗まで来ると疲れたので、ドッコイ一休みと日和田山をソッと置いたため、背の高い多峯主山がグッと低くなった、その時、足が汚れたのでので日和田山に腰をおろし、高麗川で足を洗った、それを新井(洗い)と云う、その時足を洗ったので水が飛んだ地を、また新井と云うと伝えている」 『武蔵野』3号 1918年発行

日和田山の麓を流れる高麗川
どちらの伝説も、大巨人を主人公にして、山・川・水と関連させているところが共通している。主人公の大巨人・「ダイチャラボッチャ」は、新しい土木技術をもって開発を進めた渡来人・高麗人ではなかったかと、筆者は勝手に想像している。
幼い頃に聞いた怖い話や面白い話は、歳とってからも忘れないものである、孫たちが来たら「ダイタラボッチ」・「ダイチャラボッチャ」の話をしてみようかと思っている。つづく
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