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2015.10.21 高麗の里27
       平林寺の「野火止塚」


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              「野火止塚」碑

 
 「にいくらの里」・新座市の駅前から平林寺にかけて、この地域一帯を古くから野火止宿と呼ばれ、現在は野火止小学校、野火止郵便局、野火止公園など信号、屋号など「野火止」にちなむ名称があちこちに使われている。
 江戸時代の1655年、多摩郡小川村(現玉川上水小平監視所=玉川上水駅付近・立川市)から分水され、小平市―東大和市-東村山市―清瀬市を通り新座市に入り、最後は志木市の新河岸川に至る(全長約25キロ)用水路が開通した。この用水路を「野火止」の地名から「野火止用水」と名付けられた。したがって「野火止」の地名は「野火止用水」が開削される以前からあった。
 それでは、いつ頃から「野火止」の地名が使われたのだろうか? 平林寺にある「野火止塚」との関連から考えてみたい。
 平林寺境内中央に、「野火止用水」開削の功労者・川越藩主松平信綱の墓があり、その裏側に小さな塚がある。周囲数十メートル、高さ5,6メートルの土盛りした小山で、頂上に石碑・「野火止塚」が立っている、以前には、「野火止塚」の由来を書いた看板があったらしいが、辺りを探したが見つからなかった。

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              平林寺境内 野火止塚の風景

 この「野火止塚」の由来について次のような説がある。
   ① 焼畑農法による火勢を監視する見張り台
   ② 野に火を放ち獲物を追い出す狩猟の見張り台
   ③ 古代の古墳
   ④ 落ち葉や枯れ木などを埋めて自然発生的にできた塚、
   ⑤ 野火止用水を掘削するとき、測量するため作られた。
 これらの説とは別に、武蔵野に駆け落ちした女が隠れたために、野火が付けられたとされる伝説が残っている。
 5つの説、どれも資料や遺跡・遺物がないため断定は出来ない、
 筆者は①の焼畑農法の火勢を監視する見張り台説が最も有力だと考えている。その理由は、朝鮮半島では古代から焼畑農法が行われていたからである。朝鮮では焼畑農法を火田といい、耕作者を火田民と呼んだ。山間の傾斜地の灌木・草木に火を放ち、その跡にアワ、ジャガイモ、大豆、ソバ、トウモロコシなどを栽培する農法である。火田は施肥をしないため3~5年で土地がやせる。やせた土地を放置して他の場所に移り火田を行う。数年後に放置した土地に戻り、また火田を行うという農法であった。
 高句麗、百済、新羅の3国時代(紀元前1世紀~7世紀)に山岳・丘陵地で焼畑農法が行われていたとされている。
 朝鮮朝時代(李朝1392~1910)に、税や役の負荷から免れるために流浪した農民が、山間部に入り焼畑農法する火田民がふえた。政府は免税処置による火田禁止命を布告して取り締まったが火田民は減らなかった。
 日本の植民地となった1910年代、「土地調査事業」や「産米増殖計画」によって、土地を失った流浪農民が急増し、一部は北部朝鮮の山林に入って火田を行い生計の道を見出した。
 1945年、朝鮮半島が植民地から解放(第2次世界大戦)された後も、北部の平安南北道、咸鏡南北道、江原道で火田が行われていたが、70年代末になって、最後まで残っていた韓国江原道の山間部にあった火田が放牧地に変わり、朝鮮半島から火田が完全に消滅した。(『朝鮮を知る辞典』)
 758年に武蔵国新羅郡が設置されて、新羅からの渡来人がこの地に入植したとき、彼らを待ち受けていたのは未開の原野であった。たちまち深刻な食料問題に直面したのではなかろうか。
 黒目川と柳瀬川の川辺では細々と農業が行われていた。しかし、この両川に挟まれた一帯は武蔵野台地野火止面と云われ、水が乏しく乾燥した土地で、草木が燃え広がり易い処であった。このような土地の条件と食料を手っ取り早く確保する手段として火田・焼畑農法が行われた。3~5年ごとに循環的に移動しながら、一定の領域範囲を決めて野焼きが行われた。一度火を点けると、どこまでも燃え広がる野火を一定の範囲内で止めるために見張り台が必要であった。それが「野火止塚」であったと考えられる。
 それでは、武蔵国に新羅郡(758年)が設置された8世紀中期から、野火止用水が開削(1655年)される17世紀中期に至る、約900年もの長い間、野焼き・火田が続けられたのだろうか?
 答えはYES、野火止用水が引水されるまでは、火田・焼畑農法が延々とつづけられていた。なぜなら、火田は水の乏しいこの地域の土地に適した効率的な農法であったからだ。
 入植当初から行われた火田は次の世代、そのまた次の世代へと受け継がれ、何世代、何世紀にもわたって、彼らは移動しながら循環的に繰り返し火田を行ったと推測される。乾燥した台地は、定着した新しい農法に容易く転換できなくしていたと思われる。 この広い台地一帯から遺跡が何一つ見つかっていない。火田は定住して伝統・文化を育む余地すら無くしていたと思われる。
 「野火止」の名はこの火田・焼畑農法で火を放す野火を止めることに由来していると推測され、長い間、野焼きが行われる過程で地名として定着したと思われる。
  
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             平林寺境内を流れる野火止用水


 川越藩主・松平信綱による野火止用水の導水と新田開発は、この地域「にいくらの里」(新羅郡・後の新座郡)で何世紀にわたって続けられて原始的な火田に終止符をうち、新しい農法が始まる分水嶺となった。野火止用水によって飲料水が確保されると、農民は耕作地付近に定住するようになった。そして、網の目のような通水によって土壌が潤い、穀物の生産高が上がり、作物の種類も増加した。各所に水車が稼働し、脱穀・製粉の営業も行われるようになった。まさに、武蔵野野火止台地は地殻変動的な変化が起きたと思われる。
 
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             野火止用水と平林寺間の田園風景

 新羅郡設置当初から耕作地を転々としていた渡来人の後裔たちは、新しく入植した農民とともに定着居住し、より安定した生活を営むようになったと思われる。
 野火止用水を開削し、野火止新田を開発した川越藩主・松平信綱が眠っている平林寺の広大な境内の森林・雑木林は、武蔵野の面影を色濃く残していることで有名であるが、また一面では、荒廃地であったこの地で野火を放ち火田・焼畑農法が行われていた昔を偲ばせてくれる森林・雑木林でもあると言えるのではなかろうか!
 

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            平林寺境内 9月初旬の風景

 平林寺は全山が真っ赤に燃える紅葉が秀逸だと云われている。その頃、また訪れて見たい。  つづく
           輝く夕日

   あっという間に11月に突入した、11月の声を聞くと、
  もう年末、今年も終わりを実感させる。
  10月末は快晴の日が多かった、そのため、
  富士山と夕日と雲の中で、夕陽だけが特別に輝き、
  西山に沈む幻想的な光景は撮影者を感激させたが、
  富士山と雲の存在は影のように薄い
  パラパラとご覧ください。
 

  輝く夕日
 
2015.10.19 狭山丘陵緑地
         案山子


 10月中旬の快晴の日、武蔵村山市岸から瑞穂町かけて
 狭山丘陵内の六道産公園を巡るハイキングに出かけた。
 里山民家の前に案山子が並んでいた。この案山子は
 コンクールに入選した一位から3位までと3体の特別賞の6作品である。
 どれも、ユーモアのある作品では?と思い撮ってきた、
  パラパラとご覧ください。

  
   案山子
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      富士山に初冠雪

 10月13日朝、白い帽子を被った富士山を目にした、
 富士山の初冠雪だ、
 毎年、この時期に見る光景であるが、
 富士山の初冠雪はやはり新鮮である。
 白昼は気温があがり、一旦姿を隠した富士山であったが
 夕陽が沈むとゆっくりと起き出すように姿を現した、
 東大和市民ネットクラブ仲間から
 マウスを当てると画像が拡大する手法を教えてもらった、
 初めての試み、ご覧ください。


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       10月13日、富士山に初冠雪

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       奥多摩に夕陽が沈む光景

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       夕日に映える初冠雪の富士山

  これからも、仲間のアドバイスを受けながら新しい手法に取りくんでいきたい。
            寒露
 

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       寒露の日 朝の富士山

 空気が澄んだ秋晴れがつづく、
 朝夕、めっきり冷えるようになった。
 10月8日は24節気の寒露の日である。
 寒露とは初秋に山野に宿る露のこと、
 秋が深まり、五穀収穫のたけなわ、
 菊が咲き出し、渡り鳥の季節であると言う、

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   渡り鳥のような雲が奥多摩の大岳山を越える

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    雲一つない晴天と言いたいが、一点の雲あり、

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      寒露の日 夕日に映る富士山
 
 連日、富士山がクッキリ姿を現わしている、
 清々しい秋の趣を感じさせてくれるこの頃である、


       光と雲
 夕日が沈む頃の西の空を長い間、撮り続けていると、

 思いもかけない光景に出会うことがある、

 「富士山と夕日と雲」のタイトルであるが、

 富士山が見られなくとも、こんな面白い光景を目にすると、

 撮影する手が震えるほど嬉しく楽しい、
 
言葉はいらないだろう、

 雲と光の競演をパラパラとご覧ください。
 


雲と光