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    雪景色

2月5日、朝からの雨が、
昼近くに雪に変わり一日中降りつづけた。
夕方までは、木の上や車の上に積もる程度で、
車道や人通りは、降った雪がすぐさま溶けていた。
ところが翌朝、辺り一面銀世界に変っていた。
10㎝位積もっただろうか?
東京は、1年ぶりの雪景色、
今年の積雪は、これが最初で最後かも!?
急いで東大和南公園に行き撮ってきた画像を
ストーリー風に編集しました。




 様々な光景が出てきます。珍しい場面の絵が10枚ほど、つなぎ合わされているのでしょうか。”いいな”と思う場面を素早く見つけて、瞬時にシャッターを切る作業の連続でしょう。大変な努力を続けておられると思います。現在は、冬至から春分へと向かう季節です。太陽が丹沢連山の陰に消えていく方向は真西より南寄りでしょうか。連山の後方に控えている富士山には、かなり接近している。これから春分に向かって、日一日と北の方向に沈むようになり、富士山からは遠ざかって行くのではないでしょうか。太陽は、東からのぼり、西に沈む。その軌道は、冬は南寄り、夏は北寄り、というような理解で、映像を見ています。ブログの画面では、日没の太陽は富士山に向って右側の位置で、1年間で、真西(春分と秋分)を軸にして、左⇒右⇒左というように位置を変えていくが、どうやら、富士山よりも左の位置にまで来ることはないと、想像しています。想像です。事実はどうでしょうか。日の出、日の入りの時刻は、比較的、分かりやすいのですが、場所・位置の季節ごとの変化は何となく分かりにくいという印象です。作者はそれを経験的に把握されているのではないでしょうか。
      紅葉18
      いちょう1




紅葉の最後を飾るのはやはり、
黄金色に輝くいちょう・銀杏ではなかろうか?
東大和南公園入り口付近に立つ一本の銀杏、
1月から一年を通して観察・撮りつづけた。
一昨年、昨年につづいて、今年撮った画像を
ストーリー風に編集しました。

筆者のブログ記事について、京都の友人が、
毎回、長文コメントを送ってくる。
筆者の記事を補充・ブログ継続の激励となっている。
今回より、それを紹介する。

 風景365、紅葉17を楽しく拝見しました。晩秋、秋の深まりを感じる美しい映像でした。もっとも、「俳句歳時記」によれば、「落葉(おちば)」と「枯葉(かれは)」は、秋ではなく、冬の季語になっています。落ち葉、枯れ葉の季節は、もう冬であるということでしょうか。少し気が早いという感じです。風景は365回目、1年分です。週に直すと91.25週、月に直すと7.6年、約8年、よく頑張って来られたと思います。この約8年間、玉川上水駅付近の風景を追い求めて来られました。なかなかできないことであると、感心しています。今回の音楽は「あざみの歌」です。昭和24年にNHKのラジオ歌謡で歌われ始めたものです。当時18歳の青年が作詞したものです。メロディが美しくて、現在なお広く歌われ続けています。戦後を代表する名曲です。次回を楽しみにしています。

    紅葉13,14






11月末となり、寒さが一段と厳しくなり、
紅葉も一層盛んになった。
鮮やかな色彩の木々に覆われた東大和南公園、
散歩しながら撮った多くの画像を2篇、
ストーリー風に編集しました。

イスラエルーパレスチナ戦争、
4日間の休戦と一部人質の解放があった、
ホッとするニュースであるが、まだまだ心配が尽きない、
長期の休戦平和を願う。
     紅葉12



11月も下旬に入った。
今週は、穏やかな秋晴れがつづいた。
東大和南公園周辺は一気に、
色とりどりの鮮やかな紅葉につつまれている。
すでに紅葉を終えた草花もある。
桜が丘図書館と団地の間の小道に造られた
小さな花壇に植えられたコキア・和名箒木を
夏の緑濃い時期から真っ赤に染まるまでの過程を
撮りつづけた12枚の画像を
ストーリー風に編集しました。

イスラエルとパレスチナの戦争4日間の休戦、
なんとか和解・平和へとつなげて欲しいと願う!
    ドクターヘリ離着陸地


  s-s20230517_163249.jpg


5月15日、午後4時頃、
都心方面から飛んできたヘリコプターが突然、
東大和南公園のグラウンドに舞い降りてきた。
散歩中の筆者は、運動中に熱中症患者が
出たのかと心配しながら状況を見守った。
サイレンを鳴らしながら、救急車両もやってきて、
タンカーや防備幕などが運び込まれたが、
何故か、多数の救急隊員たちの動きは緩慢で、
患者をヘリコプターに運び込む様子もなかった。
しばらくたってから、訓練であることがわった。
30分後、ドクターヘリは都心の方面に飛び立った。
ヘリコプター着陸・離陸までの画像を
ストーリー風に編集しました。



ヘリコターが去った後、グランドの外側に、
ドクターヘリの離着陸場と書かれた
小さな立看板が置かれていた。