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       第5次朝鮮通信使往還 
    日光東照宮における朝鮮式祭祀

 17世紀中葉、清を中心とする新たな東アジアの国際秩序の変化に対応するため、朝鮮は、南辺の日本との交隣関係の維持・強化する必要に迫られていた。

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     18世紀 東アジア(清・朝鮮・日本)
 
 1637年, 日本では島原の乱を契機に、この一揆の原因を誘発したとして、ポルトガル貿易船の来航を禁じ、1641年にはオランダ商館を長崎の出島に移し、貿易とともにキリスト教を統制した。いわゆる「鎖国」であった。
 
 3代将軍・家光は、徳川幕府の権威を高め、体制をより強固にするため、外交使節団・朝鮮通信使を招待し利用する必要があった。

 このような時代背景の下に第5次朝鮮通信使の往還があった。

 1643年、朝鮮は、前例がない将軍の世継ぎ誕生(家綱)を祝うとの名目で、正使、副使、述事官の三使をはじめ477人の大規模な通信使を日本に派遣した。
 
 使節団は盛夏の7月、江戸城で国書伝礼式を終え、日光東照宮に向かった。
  4次使節団の際は、「日光遊覧」をかたくなに拒否したが、幕府の強い要請と対馬藩主・宗義成の必死の懇願により、やむを得ず寒い冬の日光東照宮を訪れたのであった。

 5回目の使節団は、4次の使節団とはまったく違い、日光東照宮参拝に積極的であった。
 そればかりでなく、使節団は、朝鮮国王の親筆の祭文、銅鏡、香炉、燭台、仏具など祭祀に用いる備具を準備して、朝鮮式の祭祀・祭事(チェーサ)まで行ったのである。
  
 唐門拝殿
      東照宮 唐門と拝殿
 
  祭祀は、拝殿と唐門の間に設けられた仮拝殿で行われ、神酒(みき)と高盛(たかもり)朝鮮菓子20種類が正式な礼法で供えられた。朝鮮菓子は一足先に日光入りした朝鮮職人により作られていた。

 祭事1
   祭祀に供える食べ物 (現代風)
 
 正使の尹順之ら三使が着座すると、雅楽の奏楽が始まった。正使たちが焼香、拝礼し読祝官が国王の祭文を高らかに朝鮮語で読み上げた。
 
 祭文と供物の絹や幣帛(へいはく)は、朝鮮では祭礼後焼くか埋められるが、家光たっての希望で、祭文は封をして江戸に持ち帰り、幣帛は東照宮の宝物として残された。

 三代将軍・家光は、将軍就任中に3度の朝鮮通信使を招待し、2度の日光招待を実現させた。彼はその間、柳川一件を裁きその後遺症を克服して、朝鮮通信使を招待して善隣友好の関係を前進させたが、1652年、47才の若さで江戸城で逝去した。

  1655年、第6次朝鮮通信使は、家光を祀る大猷院霊廟前で朝鮮式祭祀を行った。そのときの朝鮮国王親筆の祭文が残されている。

 その内容は、「家光は家康の法度をよく守り孝道の思いが厚い。朝鮮国とは代々にわたって親睦を深めてきた」というもの。

 陽明門鐘
    東照宮 陽明門前の朝鮮鐘 

 日朝両国の利害関係は、お互いの望むことを実行してすることによって信頼を深め、善隣友好関係を築いていった。

 朝鮮国王の親筆の祭文は、「通信の国」朝鮮との善隣友好の歴史を物語る歴史的文化財として今に伝わっている。

 祭事2
    墓の前で行われる祭事の一場面 

 韓国では、一般家庭でお盆、正月、秋夕に先祖を祀る行事として祭祀・祭事が今も行われている。
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