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        今切川事件

  浜名湖
          浜名湖の風景

 この事件は、第4次朝鮮通信使の帰国の途上で起きた。
 
使節らが、浜名湖付近の湖口・今切川(金絶河)川の浅瀬に銀子(お金)を投げ捨てるという事件を起こしたのである。

  浜松市
       浜名湖付近の地図
 
 なぜ、お金を投げ捨てたのか?

 朝鮮通信使・使節団が、江戸における任務を終えたとき、宿泊所の本誓寺には幕府から振る舞われた、米530俵をはじめ酒、餅、醤油等の食糧・食材が大量に余った。
 それを雑用してくれた人々に、全て分け与えて江戸を出発したのであるが、使節団一行が三島に着いたころ、江戸から銀子千両(推定約1億円)が送られて来た。
 接待役責任者であった安藤重長から「使臣たちが置いていった米のことを関白(将軍家光)に申し上げたところ、関白は銀子に換えて追送するように指示があった」ことを伝えてきた。

 儒教国の両班(官僚貴族)出身の使節たちにとって、金や財・物欲がないという体面が大事なことであるため、銀子をそのまま受け取って帰るわけにはいかなかった。
 また、朝鮮通信使は、聘礼外交を前提としたので、使節員がもらうお礼の品とお土産も形式にとどめたいた。
 
 ところが、日本側の礼は、財・金品でもって表す慣習があり、使節らはその都度断っていたのであった。

 しかし、この時はわざわざ金品に換えて贈ってくれた幕府の善意を考えると、その銀子を送り返すわけにもゆかず、また随行員に配れば銀子を受けとったことになるし、対馬藩主・宗義成に受け取るように勧めたが、義成は幕府のとがめを恐れ受け取らなかった。

  img083.jpg
      
  行列1
       朝鮮通信使行列図

 使節たちは、この銀子をどうすべきか悩み協議をかさねた結果、浜名湖の湖口付近の今切川に捨てることにしたのであった。
 
 使節たちは、川の浅瀬に銀子を捨てるとき、対馬人が見ていることを感じていた。
 対馬藩士たちは、川の中に投げた銀子をそのままにして素通りすることが出来ず、銀子を拾い上げ対馬まで運んだ。

 使節たちは、このようにすれば幕府の面目もたち、自分たちの体面も損なわず、通信使往還で苦労した対馬人の利益にもなる。3者が満足のいく解決法だと考えたのであろう。
  
 この時代の一種の外交的パフォーマンスであったと思われる。
 
 そして、対馬に到着したとき、銀子千両をめぐって、使節団と対馬側の間で、受けとれ、受けとれないの押し問答を繰り返し、結局、折半することになった。

 使節団がソウルに帰り、復命の報告を受けた朝廷では、使節団の行為に賛否両論があったが、16代朝鮮王・仁祖が、「その金を北方の防衛費に使うように」と王命を下し、事件は一件落着したのであった。 

   仁祖王
       韓国ドラマに登場した仁祖王

 その後、この事件は朝鮮通信使の良い前例となり、使節が今切川を渡るごとに、この事件を伝説のごとく「今切川」・「金絶河」と名ずけて自慢したという。
 「今切」も「金絶」も朝鮮語で「クムジョル」と読み、お金と縁を切るという意味。

 朝鮮通信使の使節たちにとって、この事件は朝鮮側の礼と自尊心を日本にて宣揚した好例であったので、後世の使節たちに伝説のように伝えられたと思われる。

 現代からみれば、お金を捨てるという、実に稚拙で滑稽な行為と思われる。

 しかし、汚職事件や詐欺事件など不正が横行している今日の社会状況を考えてみると、筆者には、江戸時代の使節たちが起こした稚拙な事件が、大義名分を貫き、清廉潔白を証明するための潔い行為として見えるのが不思議である。 

   つづく
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