FC2ブログ
2017.04.17 高麗の里97
      奥多摩の白髭神社
 
 P4104299.jpg
    JR青梅線の終点 奥多摩駅

 東京都の西端・奥多摩に白髭神社があることを知り訪ねた。
 高麗人が多摩川上流、奥多摩の山深い奥地まで本当にやってきたのだろうか?
 高麗神社の祭神を祀っているのは本当だろうか?
 半信半疑の気持ちと春の行楽気分も手伝って行くことにしたのであった。
 JR青梅線の終点、奥多摩駅から徒歩約50分、白鬚神社は想像した以上に山奥にあった。
 途中、神社の麓にある境という集落を横切ったが、集落の光景を見て驚いた。
 谷間の斜面に積み木のような家が建てられていた。まるで劇場の観客席のようにも見える。

  P4104304.jpg
   奥多摩町境 白髭神社付近の集落

 後に聞いたが、この村の人たちが白髭神社を守り、毎年8月、神社の例祭で獅子舞を行うと言う。
 神社は、この集落から7,8分のところ旧青梅街道(奥多摩むかし道)の脇、急な階段の上に祠のような建物であった。

 P4104313.jpg
     白髭神社  奥多摩町境

 右側から大岩が覆いかぶさるような格好になっていた。この大岩こそが御神体として崇められている白髭神社の祭神である。
 入り口付近にあった案内板に「古代において白髭大神信仰の文化が多摩川をさかのぼり、古代人の思想に一致した神やどる聖地として巨岩のある清浄高顕のこの地に巨岩を御神体として祭祀が営まれました」書いてあった。
 また、駅前の観光案内所でもらったパンフレットにも、「白髭神社は埼玉県日高町の高麗明神(高麗神社)を勧請したもので、この高麗明神はその主神は高麗王若光、猿田彦命、武内宿禰の3柱を祭神とし、その主神は高麗王若光です。高麗王若光は髭髪が真白かったため白髭明神と称えられました。」と書かれていた。
 やはり、高麗人が山深い奥多摩まで入植してきたことは間違いないようだった。
 せっかくここまで来たので、この神社付近を散策しょうと思ったが、狭い空間で長く居られるような所ではなかった。
 それにしても、なぜ、高麗人がこの山奥まで入り込み定着したのか、聞く人も見つかりそうもないので帰路に着いた。
 帰りの電車の中でパンフレットを見ながら、ハっと気がついた事があった。写真に写っている獅子舞の後方の女性の姿である。顔を4角形の赤い布で覆い隠している姿は、筆者が以前に高麗神社で見た獅子舞いに出て来た女性の姿そのままであったからだ。
 いつか高麗神社で演じられた獅子舞いを見学したとき、記事に関係ないものと撮影しなかったことが悔やまれた。
 ところが、帰ってネットで調べて見るとやはり、高麗神社で行われている獅子舞の女性は同じ姿であった。 それどころか、奥多摩町の入口付近に位置する川井の八雲神社で行われる獅子舞にも、この姿の女性が登場することがわかった。「雌獅子隠しの獅子舞」と言われているらしい。
 川井は青梅市から多摩川の上流、奥多摩の白鬚神社までの中間にあたる御岳付近にある。

   高麗獅子2
       高麗神社の獅子舞

  P4114343.jpg
   奥多摩町川井 八雲神社の獅子舞

    P4114337.jpg
    奥多摩町 白髭神社の獅子舞

 これらのことから、高麗郡(高麗の里)で生まれた白髭明神信仰・文化が入間郡から青梅へ、そこから多摩川をさかのぼり川井をへて、さらに奥多摩の山奥、境にまで影響を及ぼしたものと推測される。
 
 高麗明神を祀る白鬚神社はその殆どが高麗郡周辺にある。
 現在、武蔵国(現埼玉県・東京都・神奈川県東部)に残る白髭神社を調べてみると、
 高麗郡(飯能市、日高市、狭山市)29社、入間郡11社をはじめ合計63社もあるという。

  P3094224.jpg
    白髭神社 入間市金子 

 これほど多くの白髭神社が、武蔵国一帯に広がった背景には、高麗人の後裔たちが増え、高麗郡の周辺地域へ進出・入植によるものだろう。
 
 びわ湖にある新羅系の白髭神社総本社をはじめ、全国に幾多の白髭神社が存在する。
 しかし、少なくとも武蔵野一帯の白髭神社は、高麗人による高麗明神・若光信仰の影響と考えられる。

  120313_113728.jpg
    奥多摩をながれる多摩川 御岳付近  

 高麗郡が建郡されてから数十年、数百年が経過する過程で、高麗人の子孫が多摩川をさかのぼり、奥多摩の奥地まで及んだのは、現代人の我々が考えるほど不思議なことではなかったように思われる。

 
Secret

TrackBackURL
→http://tei1937.blog.fc2.com/tb.php/496-e7deebce