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         秋深まる 

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 9月30日、
 夏の暑さもすっかり忘れ去られ、
 9月も今日が最終日。
 秋は一段と深まり、
 朝晩の冷え込みがが厳しくなっている。
 気温が下がり、
 空気が澄んでくると富士山が姿を現わす。

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 しかし、
 雪がないためか富士山の見映えが思わしくない。
 それでも、富士山は雄大で美しい。

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 この時期は、富士山に代わって
 「夕日と雲」が鮮やかで見ごたえがある。
 刻々と変化する夕日と雲は、
 まるで映像を見ているようである。

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 今月は、いつもより空の名場面も多く、
 前を通り過ぎて行く
 モノレールの写真も何枚か撮ることが出来た。

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 沢山の画像の中から何枚か紹介した。

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 10月に入れば、
 もっと多くの空の名場面が現れるだろう。
 美しい「富士山と夕日と雲」の出現を期待して、

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 明日からまた、
 玉川上水駅前の高層アパートから、
 西の空を眺めつづけるだろう。
       2人の女人
     (ふたりのにょにん)
 
 妓生の生態とか、両班と妓生の遊楽図などを得意とした申潤福(シン・ユンボク)にも、このような働く庶民の女性を描いた珍しい作品がある。
 家庭の若い主婦が市場に買い出しに行き、帰りながら知り合いの老女に出会ったところ、若い主婦は、頭には籠一杯の魚や生もの、脇には網袋に野菜を肩にかけている。
 老女にちょっとあいさつして、家族の待つ家に帰りたいのだが、老女の話は長くなりがちである。若い主婦の心急ぐ様子が、その足に現わされている。

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 老女は皺の多い顔をさけ、後姿であるが、背がピンとしている。若い主婦は正面像に近く、道を急ぐためチマをたくし上げて腰のところに止めてあり、しかもよく見ると、短いチョゴリが豊かな乳房で膨らんでいる。
 つまり家には乳飲み子がいますよと、若い母親であることを誇っているのであった。
 庶民の働く女性像でありながら、何となく乳の匂いがただようような優しい女性像が描き出されている。
 平凡な女性像を描きながら、それは一つの典型的な朝鮮(李朝)時代の主婦像となっている。
         端午風情      
       (たんごふぜい)

 朝鮮朝(李朝)時代に女性を描いては随一といわれた申潤福(1758~1813)の代表作である。
 五月の端午を迎え、妓女たちが郊外の小川ほとりでブランコに乗ったり沐浴したりしている。
 まことに春の気配あふれる場面である。

  風情

 右上の女性の一人は木にもたれながらすき終えた長い髪を持ち、それを頭の上に編み上げようとしている。
 隣の鮮やかなチマチョゴリの女性は、ブランコのに乗ろうと板に片足を乗せ、綱を両手で握っている。
 そのしぐさは、いかにも艶やかである。
 たくし上げた紅色のチマから下着が覗かれ、上のチョゴリは袖先、結び紐、脇下を紫色で飾る三回装チョゴリといわれる派手なもの。
 小川の左側は、沐浴する半裸の女たち、チマは着けているが、上半身は裸で、裾はたくし上げられ太腿や尻まで露出している。
 それを盗み見ようと二人の坊主が左の岩の陰に描かれており、絵としてはまことに巧みな配置である。
 そして、これら三者を引き締めるのが、右下の頭の上に食物を乗せ、堂々と歩む一人の働く女性である。
 体躯は大きく、腰回りは臼のよう。胸はさらけ出し、乳首まではっきりと分かる。
 それは、結婚して、男の子を生んだ母親ですよと誇っているようである。
  天皇・皇后両陛下、「高麗の里」訪問
 9月20日、
 「天皇・皇后両陛下が、私的な旅行で朝鮮半島からの渡来人ゆかりの地として知られる、埼玉県日高市の高麗神社を参拝されたのち、巾着田曼珠沙華(きんちゃくだまんじゅしゃげ)公園など訪れた」の報道があった。
 昨年(2016年)、高麗郡建郡1300年を迎えたので、筆者は、ブログ「日朝文化交流史」に記事・「高麗の里」を掲載し、今年5月に100回をもってその連載を終えたのであった。
 この報道に接した筆者は、取材のため幾たびか訪れたことのある「高麗の里」を思い出し、さっそく今日(21日)500本の曼珠沙華が咲き誇る「高麗の里」の巾着田に行ってきた。
 天皇・皇后両陛下が観賞された、巾着田の真っ赤に染まった曼珠沙華・彼岸花の動画をご覧ください。


 

 史上初めての天皇・皇后両陛下の訪問に、地元「高麗の里」の住民は興奮冷めやらず、曼珠沙華の見学者はいっきょに倍増したという。
        秋の夕焼け

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  一週間前の9月12日(火)
 久しぶりに美しい夕焼けが空一杯に広がった。
 この日、筆者は夕日が西の山に沈む頃から、
 夕映えの大空を眺めていた。

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 雲のすき間から、赤く染まり始めた夕焼けは
 たちまち、空全体に燃えるような紅赤色に染った。

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 まさに幻想的・荘厳な光景であった。
 動画も含めて沢山の画像を撮りまくった。

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 ブログ仲間のAさんが「つれづれだより東大和」に
 東の空にかかった虹の画像と共に掲載された。
 東の空に虹がかかっていたことは、
 筆者は気がつかなかった。

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 次に、
 このような光景を目にするのはいつだろう?!
          打作図        
         (ださくず)

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 金弘道(キム・ホンド)は、絵画の主流となっていた、中国風の空想的な山水画を描くことはなかった。
 彼の多様な作品を貫いたのは、生活し、働いている当代社会の名もない人々を主人公としたこどである。
 この「脱穀の図」を見ることにしょう。 
 6人の農民が稲束を運んできて、大きな枯れ木に打ちつけ、籾を取る作業をしている。
 その顔は働く喜びが表情に出ていて、活気に溢れている。
 人物を描く線は、よく見ると太く細く、リズムをもって正確に描いていく絶妙の線描であることがわかる。
 右上にいるのは、横に酒瓶を置き、長いキセルをふかしているマルム(小作管理人)という男、
 都市にいる不在地主の委託を受け、現地にあって小作人を管理し、小作料の取り立てなどを行う人物。
 朝鮮王朝でもっとも安定した18世紀、
 マルムも農民が準備してくれた酒を横に置いて、のんびりと間の抜けた顔をしておれたのだ。
 金弘道も良き時代を背景に、働く農民の姿を生き生きと描いた傑作を残すことができたのである。
        九十九里浜

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  9月10日、
 囲碁仲間から一泊旅行に誘われて、九十九里浜に行ってきた。
 普段、海を見る機会に恵まれていない筆者は、碁会の途中、ひそかに1人抜け出して海岸を散歩した。
 そこは、長い長い砂浜がつづく九十九里浜の中央・ 白子町中里海水浴場である。
 サーフィン姿の若者数人が休んでいたが、人気のない砂浜がどこまでもつづいていた。
 そよ風が吹く海は、4・5m位の大波が果てしなく押し寄せていた。

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 久しぶりに見る大海原の風景、
 海浜独特な松林の光景、
 高いカナリの木が筆者の目を惹きつける 。

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 いつも、奥多摩の山々を目にしている筆者にとって、海辺は別世界の風景、
 全てが新鮮で珍しいものに見える。
 いつまでも見続けていたいが、碁会が気になり、そうもいかない。

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 ブログに載せる風景を何枚かスマホに収め、引き返したのであった。
 この日の対局は、自分だけに海の精気が宿ったのか、勝ち碁がつづき思わぬ良い成績を修めることが出来た。
        建築図     
     (けんちくず)

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 金弘道(キム・ホンド)は、働く人がどんな道具や材料をもって、何を作っていくのかを正確に描いている。
  これは、近世以前の画家としては、ごく珍しい態度といわねばならない。
  画面中央の直立した太い柱、それに三角形の屋根、まことに明快な構図の中で、人々が家を建てるという一つの目的をもって有機的に働いている。
  この画では、すでに棟から軒に垂木をかけ、その上に板を敷いて、まさに瓦を葺こうとしている。
 屋根から縄で引き上げようとしているのは、瓦の下に敷く粘土の塊だ。
 瓦職人は、瓦を敷くまえに、景気よくそれを投げ上げては、自分の仕事に活気を与えている。
 下では、カンナをかける人、柱の横に立つのは大工の棟梁であろうか。重しをつけた糸で柱の傾きを点検してしている。
 長い杖をもって工事を見守る人物は、この家の注文主であろうか。画面右下の朝鮮独特のノコギリと手斧にも注意されたい。
 このように金弘道は、政府の図画省の画員として伝統的な絵も描いたであろうが、その他に働く人々の生活を活きいきと描き出すことにより、わが国の人物画や風俗画に革新的な新しい模範を作り出した。
  彼の画は、後につづく画家たちのために創作上の活気を与えたのである。
       ススキ(薄・芒) 

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 ススキは秋の七草(ハギ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ) の一つ、
 ススキは獣(けもの)の尻尾に似ていることから尾花(オバナ)とも呼ぶ。
 「風に揺れる薄 ゆく人を招く女人の 袖のよう」の歌があり、
 「袖振草」とも呼ばれる。
 ボランティア花壇に植えられているススキが見頃、
 しかし、ススキに関心をもって見る人は少ないようだ。
 ススキは背が高いが、なんとなく暗く、淋しいイメージがある、
 もともと、ススキは日本の文化に根づいた植物であった。
 日本全国に分布し、日当たりの良い山野に生息している。

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 かつては「茅」(かや)と呼ばれ、
 農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いたり、
 家畜の餌として利用することが多かった。
 そのため集落の近くに、定期的に刈り入れをするススキ草原があり、
 これを茅場(かやば)と呼んでいた。
 現在では、そのような利用はされなくなり、多くは雑木林となってしまっている。
 沖縄地方には、ススキの葉を環のように結んで魔除けとする風習があるらしい。
 すすきの花言葉は「活力」、「生命力」という、
 花言葉からすると、すすきを見たら「ファイト!」、「頑張るぞ!」といった、
 元気がでるイメージがあってもと思ったりするのだが、

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 ボランティア花壇の 地味なススキに根もとには
 色とりどりジニアの花がにやかに咲いていた。
            書堂図        
          (しょどうず)

   書堂図
   
 朝鮮朝(李朝)500年を通じて、最も優れた画家は誰かと問えば、多くの人は金弘道(1745~1806)と答えるだろう。
 朝鮮朝の18世紀は、社会が安定し生産力の向上し、多様な文化が花開いた時代であった。
 金弘道(キム・ホンド)はこうした時代を背景に、絵画のみならず、書や詩、または音楽と多様な才能を伸ばし、正祖(22代朝鮮王)にその才能を愛されて、数々の名作を残した。
 まず、この有名な「書堂図」を見られたい。
 先生の前でいたずらが過ぎて、先生の机の下にある竹の鞭で力いっぱいぶたれたのであろう。
 それを本を読むふりしながら見て、笑いをこらえている子供たちの表情が可愛らしい。
 のびのびと勉強できる社会へと変わったのである。
 先生の近くに冠を付けている子供がいるが、豊かな家の故に、早婚させられ一人前とされた子供なのである。
 社会の活気と矛盾が反映されている。