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        8月の夕焼け 

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 夏休みが終わる8月31日、
 この日、2、3後に台風15号が関東地方を横切るとのニュースが報じている。
 それにしても、今年の8月は天候不順がつづき、
 真夏日は少ない年だった。

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 富士山は一度も見ることができなかった。
 ブログに載せるための画像が撮れたのは、
 8日と25日の2日間の夕焼けのみであった。
 8日の日の画像は、すでに掲載したので、
 25日の夕焼けの画像を8月最後の記事としてお届けする。
 撮影中タイミングよくモノレールが通過した。

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 この綺麗な夕焼を窓から眺めた乗客は何人いただろうか?
        百済の山水文塼  
     (くだらのさんすいもんせん)

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  一辺29cm 7世紀 ソウル国立中央博物館

 1937年、扶余の百済寺院跡で、150余個の百済後期の文塼 (宮殿や寺院の壁を飾る文様のタイル)で蓮華文、渦雲文、竜文など多数出土した。
 その他に、百済的な山水画の傑作というべき山水文塼、鳳凰山水文塼が出現し関係者一同を驚かせた。
 山水文塼 の下部は小川がデフォルメされており、その上部には切り立つ岩や絶壁、そして後景には秀麗な山々が並び立ち、松林が茂る。
 まさに格調の高い、簡素で温雅な雰囲気をたたえた百済美術の精髄を現す傑作といえよう。
 さらに中央の山頂に立つ怪鳥は鳳凰であろうか、その鶏冠と両翼は、千変万化する大宇宙の「気(雲文)」と共に湧きたっている。
 これこそ百済の美術に脈々と流れる百済人の創造的な美観は、高句麗壁画古墳に見る高句麗人のそれと深い血脈で結ばれていることを感じざるをえない(高句麗壁画参照)。
 わずか29cmの粘土で作られた塼ではあるが、山水と大空を現す一枚の塼が示す内容は豊富である。
           処暑

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    2016年8月22日夕

 8月23日は、二十四節気の処暑(しょしょ)、
 暑さが止むという意味である。
 暦の上ではこの時期、涼風が吹きわたり、
 暑さも徐々に収まると云われるている。
 しかしながら、
 気象予報や、蒸し蒸しした連日の暑さからすると、
 涼風を感じるのは、まだまだ遠い先のように思われる。
 今しばらく、熱中症対策も怠ってはならないようだ。

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 昨年の8月21日、台風9号が関東地方を通過し、
 少なからず被害を及ぼしたが、
 その日の夕焼け空は、秋の気配を感じさせた。
 富士山も姿を現したのであった。 

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 昨年、この日の空模様を掲載したが、
 今年は、天候不順で掲載するネタがないので、
 昨年の画像をもう一度掲載する、

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 この暑さは、しばらく続くと思われるが、
 夏休みが終わる頃には、少しは涼しくなるだろう。
         咸恩寺雙石塔
      (かんうんじそうせきとう)

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 塔婆とか塔というのは、古代インドの言葉の音を漢字に移し替えたもので、
 舎利(仏陀・聖者の遺骨)を奉安する場所を意味する。
 インドでは半球を伏せる形をしているが、中国に伝わって木塔から磚塔(煉瓦を積み上げる塔)に、
そして朝鮮では木塔から石材を使う石塔に、さらに日本では木塔になったのである。
 新羅の文武王は、唐と連合して高句麗を滅ぼし(668年)、領土欲で居すわった唐軍を北方に追い出した。
 一方で東南方の倭の侵攻を恐れ、自分の陵として慶州郡甘浦の沖の大王巌を海中王陵にすることを遺言して死亡する。
 次に立つた神文王も先王の遺志を受け継ぎ、倭の侵攻を防ぐため、その海岸に咸恩寺を建立するのである。今に残る東西の2塔は堂々として安定感と重量感を持ってそびえ立っている。
 広くて高い基段の上に初層から大量の石材を木塔のように3層に積重ねている。
 三層の屋蓋石のうえに、今は鉄棒のみの相輪部が 3・3mあり, 総高は13・4m、どっしりとしたゆとりと威厳を持つ新羅最大の石塔である。
 1300年にわたって存在する千斤の重みと諧調の美しさである。
 
      神秘的な空

 八月に入って、雨と曇りの日がつづき気温が下がって過しやすかったが、
 一方で、日照不足で野菜の値段が上がっているという。
 自然はままならないものである。
 今月、筆者が「富士山と夕日と雲」の撮影が出来た日は、8日の・1日のみである。
 この日の画像は、前回の動画「神秘的な光景」を掲載したが、
 30分近くつづいた神秘的な光景の全体像が伝えられなかった。
 今回は、動画では見られなかった「神秘的な空」の画像をパラパラとご覧に下さい。

 神秘な空

 最近になって、文章の内容や場面によって動画・パラパラ画像・静止画像を使い分ける必要があることがわかった。
       青銅製五重塔  
    (せいどうごじゅうのとう) 

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   高さ28cm 7世紀 慶州

  遠く寺院の木塔を見る時、何か心が安らぐのを感じるものである。
 現在朝鮮半島に木塔はなく、石塔が全国に千基以上存在し、その大部分が本堂を失い、山野に孤独に立っている。
 しかし、この青銅製五重塔が証明するように、かつては木製の五重塔が存在し、かつ、それが手本となって日本で木製の五重塔が存在するようになった。
 見事に均整のとれた塔である。初層から次第に深い軒を狭めながら、上段に登って行く各層には、欄干が巡らされ、それも上段に行くにしたがい、巾が狭まっていく。それらの生み出す律動感が快い。
 上部にある宝輪の組み合わせもすばらしいし、最上部には羽を高く上げた鳳凰が辺りを睥睨している。
 これは新羅の古都であった慶州付近で発見された。この内部には大切な水晶の舎利宝器が納められていたのであろう。
 後期新羅、七世紀頃のもの。大きさは30㎝に満たないのであるが、現物のように大きく感じらる、忘れられない名品である。
     神秘的な光景

 8月8日、 和歌山に上陸した台風5号は、
 各地に被害を残して関東地方を通過した、
 この日の夕、雨雲のすき間を夕陽が沈んでいった。
 すると、奥多摩方面の西の空は夕焼けに燃え、
 筆舌に尽くせない神秘的な光景が展開された。
 その間、画像・動画を撮りつづけた。
 動画をご覧ください。
 




 このようなめったにない神秘的な光景を目にして、
 すっかり暑さを忘れていた。

       定林寺石塔   
   (じょうりんじせきとう)

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   高さ8,3m 7世紀初 扶余

  百済は仏教を受け入れ、寺院を初めて建立した時は、高句麗にならって中国の望楼式木塔を仏塔としたのであるが、次第に朝鮮に豊富にある石材の塔になっていった。
  1400年前に建てられたこの石塔が完全な形で残っていることは石造物であるとはいえ奇跡的なことである。
  この塔は、木造建築を石材によって忠実に模倣したものであるが、塔の各部を簡素化し、石材の数や大小を整備しなががら、いわゆる百済式石塔の典型的形式を作り上げた。
  百済人は豊富にある石材を創造性に加えて、芸術性をつけくわえた。
 この石塔は、最下部にやや低い一層の基壇があり、その上にエンタシスをもった柱が四本立って初層となり、
 塔身の幅が上層に登りながら急減すると共に、薄く広く伸びた屋根の幅も調和を保ちながら縮小し、かつ四隅が軽く上転して木像屋根のような軽快で美しい効果を出している。
     ひまわりガーデン

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 東大和市の西隣・武蔵村山市に「ひまわり畑」があると聞き訪ねた。
 思ったより広ひ敷地に、ひまわりがびっしり咲いていた。
 こんな近いところに「ひまわり畑」があることに驚いた。
 「ひまわりガーデン武蔵村山」として、誕生してから今年で6年目と言う。

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 毎年5月、小・中学生を中心とする数多くのボランティアが参加して種まきをして、市民一体となって作り上げたと言う。
 今では都内最大級のひまわり畑、新たな観光スポットとして、市内外から毎年2万人を超える来園者があり、
 武蔵村山市の夏を彩る風物詩となっている。

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 ひまわりガーデンの規模は約3,7ha(西部ドーム約2個分)
 満開時 約50万輪、入場料無料、
 【住所】 東京都武蔵村山市緑が丘1460番地
 開園期間 2017年7月15日(土)~8月10日(木)
 9:00~17:00(※最終入園時間は16:50)

 ひまわり

 ●多摩都市モノレール「上北台駅」より徒歩10分
 ●「玉川上水駅」北口より立川バス村山団地行き
   又は市内循環バス「学園」バス停下車

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 百聞は一見に如かず、
 画像は、全てスマホで撮ったものである。
     金銅日月飾宝冠思惟像
 (こんどうにちげつほうかんしいぞう)

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    高さ83cm 6世紀末 
  ソウル国立中央博物館 国宝

 朝鮮の三国時代(高句麗・百済・新羅)の仏像が2体残されている。
 大型の金銅日月飾宝冠思惟像がその一つである。
 日帝時代、「慶州の無名の古寺で発見された」とも、「忠清道の寺庵で発見された」ともいわれるが、日本の骨董商によってソウルの骨董市場に高額の価を付けられ出品された。
  あまりに貴重な仏像の出現は官憲の注目するところとなり、公的な博物館への寄贈形式で譲渡されることになった。
 穏やかに微笑を浮かべたお顔、豊かな頬のために大きめの顔は四角形に近い。
冠は珍しい太陽と三日月を中心に飾られている。
 像全体がしなやかな丸みのある曲線につつまれて、その底に強靭な力がみなぎっていることである。
 両肩にかかる天衣は、左右に美しい曲線を作って鋭く突き出し、胸から腰に穏やかな曲線をえがきながら、裳裾は右足ではS字の文様をえがき、左に垂れる左足ではU字の文様を反復している。
 この身体の柔軟で力強い動態と天衣の織りなす構成的な調和、さらにX線の撮影によると、大きな像であるにもかかわらず、金属の厚さは2~4ミリに過ぎないという。
 これらは高句麗の総合的な国力から来るものではなかろうか。