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             梅雨空

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            6月2日

  梅雨入りした6月中、
  比較的に晴れた日が多かった。
  富士山が望めたのは1日だけであったが、

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            6月3日

  「夕日と雲」のいろいろな面白い光景を
  撮影することが出来た。

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       6月10日

  空模様は 季節と共に変るものだが、

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         6月22日

  梅雨時の空は雲が中心になり、
 
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        6月23日

   瞬間的に変る「夕日と雲」も、 また面白い。
          紫陽花
 
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  梅雨の時期
 紫陽花(あじさい)をあちこちで見かける。
 公園や庭先、道路際に色とりどりに咲いる。
 玉川上水駅周辺はこの時期、
 紫陽花だけが目に止まる。

 
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 散歩しながらスマホで撮った画像はかなりの数になるだろう。
 紫陽花は、もともと日本が原産の植物であったが、
 ヨーロッパに渡り品種改良されたものが逆輸入された。
 西洋紫陽花が主力になっているという。

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 咲き始めから花色がどんどん変化するため「移り気」、
 花色のクールな印象から「冷酷」、
 花期の長さから「辛抱強さ」という花言葉がついたと言われる。
 鎖国時代に長崎に来日したドイツ人医師シーボルトが、
 「お滝さん」オタクさと呼んで愛した妻・楠本滝の名前をとり、
 「オタクサ」として、ヨーロッパに紹介したという伝説が残っている。
 「辛抱強さ」の花言葉は、辛抱強く夫を愛し続けた
 お滝さんのイメージからつけられという説もある。

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 紫陽花は品種改良されて、花房が手まりのように咲く「手まり型」と
 額縁のように周たりに咲く「ガクアジサイ型」があり、
 円錐状に花をつけるカシワバアジサイもある。

  
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  玉川上水駅周辺ではさまざまな紫陽花が観賞できる。
    青磁象嵌葡萄唐子文瓢形水注
   
せいじぞうがんからこもんひょうけいすいちゅう

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  高さ38cm 12~13世紀 大阪市立博物館

 美しく優美な「ひさご形」の水差しである。
 胴体の前面に葡萄の蔓が張り巡らされ、大きな葡萄の房がなっており葉は小さく描かれている。
 面白いのは所々に少年(唐子)が蔓の上で遊んでいて、大小の遠近感覚を無視した模様の施しのため、見る人は何かユートピアの世界に遊ぶような気がするのである。
 ひさごの上部の白い丸のなかに、太陽のシンボルである三本足の烏、その裏面に月を表す兎が描かれている。
 葡萄の房の合間に鶴が上向・下降・「雲文」がしっかりと象嵌されている。
 この「葡萄唐子瓢形水注」は、貴族社会では日常の必需品であり、かつ手頃で身近な美術品として繰り返し生産され、愛用されたもの。
 われわれの家庭にあるヤカンより、どれほど芸術的であることか。
 
       青華草花文面取瓶  
    (せいかそうかもんとりへい)

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 高さ41cm17世紀 ソウル国立中央博物館  

 朝鮮時代前期の白磁の生産量はごくわずかで、その遺品もめずらしいのである。
 とくに豊臣秀吉軍の侵略(壬辰倭乱1592~97)の打撃により白磁の生産は数十年間中断された。
 青華白磁の生産が再開されるのは半世紀後であった。
 はじめはもっぱら酒を入れるための丸筒瓶が作られたが次第に円筒を八角形に削り、瓶の形に変化を求めたものも生産されるようになった。
 17世紀中葉、京幾道広州市松亭里で草花文が描かれた青華白磁が造られはじめた。
 上の面取瓶は、この時期に造られたと考えられる。
 やや厚めの口縁と八角形の胴、胴の下部は膨らみすぎず、全体がすっきりと細長い印象である。
 そして底部に一線の線をめぐらせ、その上部には細い青華の線を用いて草花文を淡く描いている。まことに清らかで美しい楚楚とした感じの瓶である。
 釉色もきれいに澄んだ白色を呈し、胎土は緻密であり、松亭里の無名工人によって作られた傑作のひとつと言えるだろう。
          菖蒲まつり

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   梅雨入りしたこの時期に咲く花に
  紫陽花(アジサイ)と菖蒲(ショウブ」がある。
  アジサイはあちこちで見かげるが、
  菖蒲はなかなか見られない。

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  今年も埼玉県所沢と境界、八国山緑地の南側、
  北山公園の東村山菖蒲まつりを見学した。
  菖蒲は300種、8000株、約10万本。

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  多種多様・様々な色の菖蒲の花模様は、
  この時期ならではの風物詩であろう。

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  東大和市に隣接しているので気軽に行ける。
  東大和駅から東村山駅行バスで約20分、
  正福寺下車徒歩15分で公園入口に着く、

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  西武線に乗れば、東村山駅から徒歩20分、
  見頃は6月18日まで
         スカシユリ

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      ボランティア花壇の風景
  
 東大和南公園のボランティア花壇は、
今、いろいろな花が咲き乱れ、梅雨入りしたと思われない賑やかさである。
 5月中から咲いた白オルリア、ゴテチア、千鳥草はいまだに咲きつづけている、

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       白オルリア

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        ゴテチア
     
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         千鳥草 

 6月に入って咲きだした紫陽花、スカシユリ(山百合)、撫子等の花が加わり、花壇は一層華やかである。
 中でも、ひときわ目立つのは赤みがかったオレンジ色のスカシユリである。
 普通、ユリは横向きにラッパのように咲くが、スカシユリは上に向かって咲く特徴がある。

 やまゆり
        スカシユリ

 白ユリの花言葉は「純粋」、「純潔」であるが、赤ユリは「虚栄心」、オレンジは「華麗」、黄は「偽り」とそれぞれ花言葉が違う。
 キリスト教では白ユリをマドンナリリーと呼び、聖母マリアのイメージから「純粋」、「純潔」の花言葉が付けられたらしい。
 花壇に咲くスカシユリの花言葉は「華麗」、
 この花によって花壇全体が華麗に見えるから不思議である。

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         なでしこ

 梅雨を忘れさせてくれるボランティア花壇、訪れて下さい。
      白磁鉄絵 葡萄文壺  
   (はくじてつえ ぶどうもんつぼ)

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  高さ83cm 梨花女子大学校博物館(国宝)

 この堂々たる王者の如き大壺をご覧あれ。
 口縁は均勢良く直立し肩は丸く拡大して半円を描き、胴の中央にくると、やや痩せた下半部が上半部を支えるのだ。
 大きな壺を作る時、ロクロで上半部と下半部を分けて作り、その二つを合体させてから全体に釉薬をほどこすのであろう。
 上半部の両面に鉄砂の釉薬で描いた二房の葡萄と枝葉がすばらしい。壺の球体という空間に適応した完璧な構図、葡萄の房や 蔓と葉の円熟したリアスチックな表現、鉄砂の濃淡の適切な発色などを、完全にマスターした工人の驚くべき手の技に驚嘆するばかりである。
 中央部の結合部分には一部裂け目が見られるが、陶土は良く精練されて緻密である。
 豊満な器の形、明るい釉色、熟練の運筆等が結合されていて、朝鮮朝の最も文物が発達しした18世紀社会の産物であることを示している。
最近,「朝鮮民族の美・100点」が出版された

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 著者は、筆者の大学時代の恩師・金哲央先生、
 先生から一冊直接いただいた。
 本の内容は、朝鮮民族が長年にわたって培ってきた代表的な文化・文物(作品)を一点づつ、100回にわたって「朝鮮新報」に 連載・紹介したものである。
 連載中は、筆者も感心をもって読んだのであった。
 その後、2・3年が経ち記事のことはすっかり忘れていた。
一冊にまとめられた本を見て、知っているようで知らなかった素朴な「朝鮮の美」を再発見・再認識したのであった。
 一人でも多くの人に知らせるために、筆者のブログ「日朝文化交流史」に載せたい旨を、先生にお願いすると快諾して下さった。
 内訳は、陶磁器24点、造形物15点、絵画29点、仏像12点、木工芸7点、民画6点、近代絵画7点の全100点である。
 その中でも朝鮮文化の特徴をよく現しているもの、
 日本でも比較的よく知られ、親しまれているものを選んで紹介していきたい。
         
         白磁の壺

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   高さ41cm ソウル国立中央博物館

 朝鮮時代(1392~1910),いわゆる「李朝」と呼ばれる陶磁器は、大きく粉青沙器と白磁に分けられる。
 最初に紹介するのは、朝鮮白磁の壺と呼ばれる17,18世紀の壺の典型というべきもので、やや狭い口縁は短く外に広がり、胴体は中心部が大きく膨れ、球形の豊かな曲線をなしており、それを口縁より小さい高台がしっかり支えている。
 静かに内に籠る乳白色の釉薬が球体全面を覆い、乳色の静かな光を放ちながら、円満な独自の位置を占め、見ていて飽きない。
 何の模様ももない空白な肌でありながら、朝、昼、夕方、または夜の燈火の光を受けて、この白磁は無限の色合いに変化するのである。
 当時のソンビ(民間学者)がこれを一つ手に入れ、身近に置きたいと願った気持ちが理解されるのである。