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       動画 6 
 
 九月中、天候不順がつづき、スカッと晴れた日は殆どなかった。
 ある日の夕方、富士山周辺の空模様を動画で撮影した。
 ご覧ください。

 
         秋の七草

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     「空襲変電所」横、ジニアの花が盛んなボランティア花壇

 桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)・尾花=薄(おばな=すすき)・萩(はぎ)・撫子(なでしこ)、藤袴(ふじばかま)・朝顔(あさがお)が「秋の7草」である。
 東大和南公園のボランティア花壇には、「秋の七草」が一か所にまとめて植えられている。
これまで、桔梗、女郎花、薄については記事にして紹介した。
残りは花が咲くのを待って、そのつど撮り記事にするつもりであったが、
天候不順がつづき、筆者の都合・怠慢が重なり、画像を撮る時期を失してしまった。
仕方なく、ボランティア花壇で撮った画像と、撮り損ねた花をネットから引用して、
「秋の七草」をそろえてみた。


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                ききょう

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                すすき

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       おみなえし                  はぎ

 藤袴  葛くず
       ふじばかま                  くず

          撫子 (2)
                  なでしこ

    s-朝顔
                  あさがを

 昔から「秋の七草」は、文人や庶民から親しまれてきた。
 万葉集に次のように詠われた。
  「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり)
  かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
  萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴
  朝貌(あさがお)の花」
           山上憶良(やまのうえのおくら)

 「春の七草」は「七草がゆ」にして”食べる”など、
 ”食”を楽しむものですが、「秋の七草」は花を見ることを
  楽しむもののようです。
2016.09.23 高麗の里61
   空手家・大山倍達と高麗神社

    2大山
         海辺で修行する大山倍達

 
 戦後、日本の空手界にその名を轟かせた大山倍達(おおやまますたつ)・本名;崔 永宜〈チェ・ヨンウィ〉は、1923年、日本の統治下にあった朝鮮全羅北道金提(現韓国金提市)で7人兄弟の4子として生まれた。
 1938年15才のとき、来日した彼は、軍人を志して山梨航空技術学校(現日本航空高等学校)に入学した。その後、拓殖大学、早稲田大学に入学し本格的に空手を学んだ。
 1942年、大山は日本で初めて空手を紹介した船越義珍の道場・松濤館に入門した。船越は大山を連れて高麗神社に出かけ、「君が真っ先にお参りしなければいけない神社だ」と紹介した。この日、大山は神前に自分の進むべき空手道の精進と栄達を誓い、高麗神社名を心深く刻んだ。 
 太平洋戦争の末期、学徒兵で徴兵され、空手の修行は中断するが無事に終戦を迎えた。 
 1945年、日本の支配から解放され、朝鮮人としての民族的誇りを取り戻した大山は、崔倍達(チェペダル)と名乗った。「倍達」とは、檀君建国神話に登場する伝説上の古代王朝・倍達国から朝鮮民族は「倍達民族」を美称として使うことがある。大山の姓は、書生として住み込んでいた大山家の恩義から名乗ったと言われている。
 1947年、大山は戦後はじめて京都で開催された全日本空手選手権で圧倒的な強さで優勝した。以後、大山の空手はあまりにも実践的で過激であったため挑戦する相手がいなくなった。
 大山は、空手に生涯を懸ける決意をして清澄山(千葉県安房郡)に18ヵ月間籠り、凄まじい修行に明け暮れた。修行の妨げになると新妻までも近づけなかった。付近の住人は天狗と呼んだ。

     倍達3
            猛げいこ中の大山倍達

 その後、大山が世間をアッと驚かせたのは猛牛との戦いであった。 

   大山1
         田園コロシアムで行われた猛牛との戦い

 田園コロシアムでの牛との戦いは一千以上の観客が見守る中で行われた。後に『猛牛と戦う空手』という映画化され日本中を驚かせた。(47頭の牛を撲殺・4頭は即死させた)

   s-大山3
         猛牛とのとの戦い 映画の一場面

 1952年に、彼は狭過ぎる日本を旅立ちアメリカへ。プロのレスラーやボクサーと戦い、真剣勝負で7戦全勝だったという。
大山の空手チョップは石を割りビールビンを弾きとばし、十円玉を捩じ曲げるという、凄まじい力をもっていた。
 1966年、大山道場を開き、1974年、国際空手道連盟極真会館を設立し、都道府県全てに道場を設け極真会館組織を確立した。
 また、大山は、世界に空手を広め、その超人的な強さに「ゴッドハンド」と称される。日本のみならず世界に空手ブームを巻き起こした。
 韓国の太拳道(テコンドー)立ち上げに大山が関わったとされている。
 1970年代、大山は、連載劇画『空手バカ一代』の主人公として取り上げられた。
 大山は、「格闘技の中では空手が一番強く、空手の中では極真が一番強い」と極真最強論を公言した。
 国際空手道連盟総裁・極真会館館長。極真空手十段。別名:マス大山と呼ばれた。
 大山道場からは、空手界に名をなした門弟が数多く輩出した。
 どこに行っても注目を浴びる大山倍達は、年の暮れになると人知れず高麗神社に現れていた。
 宮司夫人が、ある日、山道で大きな体をした男たちが「エイヤ、ウイヤ」と威勢よく空手の稽古をしているのを見かけ、「お茶でもいかがですか」と声をかけた。それがきっかけとなって、大山は59代高麗澄雄氏と親しく会話を交わした。そして、高麗郡の由来を知り、高麗神社に対する想いをいっそう深めた。
 大山が高麗神社を参拝する様子を、第60代宮司・高麗文康氏は「大山さんは12月末日までに一般の人たちに隠れるように、足早で参道を歩いて参拝していきました。・・年末、初詣でなどの準備で忙しい神社に余計な気をつかわせないように配慮されたのだと思います」と述べ、「常に陰徳を積み続ける大山の義理堅い人柄を滲ませていた」と回想している。
 空手の普及のため世界を飛び回った大山が、毎年のように高麗神社参拝に訪れのは母国・故郷への想いがあった。若干15才で単身、渡日した大山は、優れた武勇家となり名を成したが、故郷はやはり忘れがたいところであったのだろう。
 朝鮮半島から渡来してきた高麗王若光が祀られている高麗神社は、大山倍達・崔永宜にとって、故郷に残した親、兄弟、友人、村の人々への想い馳せる場所であり、民族の先祖が眠る最も神聖な場所であったのであろう。
 1994年、大山は肺がんによる呼吸不全で逝去、享年70才。 

  
  倍達2   馬鹿1代   
       大山の著書           マンガ 「空手バカ一大」

 大山は『世界けんか旅』、『わが空手五輪書』など、数多くの著作を残した。
 極真会道場は,今日も孫弟子たちが未来の大山倍達を目指して稽古に励んでいる。


    弟子
         大山道場で稽古に励む子供たち
     ボランティア花壇6

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 東大和南公園の平和広場に設けられたボランティア花壇、
 今、盛んな花は酔芙蓉(スイフヨウ)である。
 この花の面白いところは、一日の間に花びらの色が変わることである、
 朝、開いた花は白色であるが、時間がたつにつれて、
 紅色に染まり、夕方には濃い紅色なる。
 あたかも、酒に酔って少しずつ頬に赤みを帯びる
 ようすにたとえて、酔芙蓉と名づけられたらしい。
 上の画像は、4時頃の撮影したもの、
 少し酔いがまわりかけているがまだ白色である、
 てっぺんの方は、完全に酔っぱらった紅色

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 酔芙蓉は背が高く沢山の花を咲かせ、それなりに美しいが、鮮やかさはない。
 周辺に背のひくい鮮やかなカンナやジニア(百日草)が咲き乱れている。
 酔芙蓉はそれらの花を「しとやかに」眺めているように見える。
 酔芙蓉の花言葉は「しとやか」。なるほど。
 芙蓉には、他に白花芙蓉、七面芙蓉などの品種があり大輪の花を咲かせるという。

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 平和広場のボランティア花壇、次に訪れたときには、
 どんな花が咲いているだろうか楽しみである。
      曼珠沙華・彼岸花

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 仲秋の名月は、残念ながら天候不順で見られなかったが、
この季節に咲く曼珠沙華は、今年もちゃんと真っ赤な姿を見せていた。
 玉川上水駅南口から上流に向かって遊歩道を千手橋・宮の橋まで、この間の上水川面に映る一、二本ないし数本の曼珠沙華がところどこに咲いている。今年は昨年比べその数が少なくなっていることに気がついた。

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  ここ数年、遊歩道の曼珠沙華は、年々増加していたので今年はもっと増えていると思っていただけに、少し残念であった。
 それでも、曼珠沙華はこの時期、この上水の遊歩道ならではの趣があり、単調な小道に花を添えている。

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 そして、思いだすのは高麗の里・巾着田の曼珠沙華である。
 昨年、見た赤い絨毯を敷きつめたような群生の曼珠沙華、鮮やかな景色が目に浮かぶ。

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  今年も高麗の里・巾着田の曼珠沙華、見学に行って見よう!
      不安定な気候

8月末から9月初にかけて、
台風9号、10号、11号、12号とやつぎ早に日本列島を襲った。
台風は、北海道・東北地方に甚大な被害をもたらした。
宇宙から地球の気象を観測きるようになったが、
まだまだ、科学の力で自然災害を防ぐことは出来ない。
台風と台風の合間、夕日が沈む頃の空模様を撮った画像、
パラパラとご覧ください。


 荒れ模様

観測技術の発展も必要だが、地球環境の悪化を防ぐことの方が
より重要ではなかろうか?
そんなことを考えながら発信しました。
      ボランティア花壇5

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     すすき  東大和市南公園 平和広場 ボランティア花壇左側 

 綺麗な大小色とりどりの花の中にあって,
すすきはなんとなく暗く、淋しいイメージがする。
そのイメージは、歌「昭和かれすすき」の影響かもしれない。
しかし、すすきの花言葉は「活力」、「生命力」という、
花言葉からすると、すすきを見たら「ファイト!」、「頑張るぞ!」といった、
元気がでるイメージをもってもよいのではと思う。

ススキ(薄・芒)、イネ科ススキ属の植物、秋の七草の一つ、
獣の尻尾に似ていることから尾花とも呼ぶ。
また、「風に揺れる薄 ゆく人を招く女人の 袖のよう」「袖振草」ともいう。
 
 ボランティア花壇でも、いまススキが見頃となっているが、
 訪れる人たちは、あまり目が向かないようだ。
 筆者も掲示板に貼ってある説明書きを読み、はじめて目を向けたのであった。
 帰って調べて見ると、すすきは日本の文化に根づいた植物であった。

 
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        ボランティア花壇右側  白い穂をつけたすすき
 
 すすき、かつては「茅」(かや)と呼ばれ、
農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いたり、家畜の餌として利用することが多かった。
そのため集落の近くに、定期的に刈り入れをするススキ草原があり、これを茅場(かやば)と呼んでいた。
 現在では、そのような利用はされなくなり、多くは雑木林となってしまっている。
 一部の地域では観光資源に利用している所もある。


  すすき1
         箱根仙石原  すすきの群生

 仲秋の名月・十五夜の月見には、ハギ(萩)とともにススキを飾ることが多い。

  萩と薄
      仲秋の名月 すすきと萩の飾り ネット上のイラストより

 花札では、八月、すなわち旧暦8月、新暦の感覚で秋に相当する時節に用いられている。
 沖縄地方には、ススキの葉を環のように結んで魔除けとする風習があるという。
 すすきは、日本全国に分布し、日当たりの良い山野に生息している。
 国外では朝鮮半島・中国・台湾に分布するほか、
 北米では侵略的外来種として猛威をふるっているらしい。
 ボランティア花壇から離れようしたとき、保護色の蝶々が飛んできた、
 よく似た色の黄花コスモスに止まった、
 

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  その瞬間を捉えパチリ、撮影に成功した。つづく