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      梅雨雲と夕日のバトル

 7月28日、関東地方の梅雨明けが発表された、
 この日の夕方、残っていた梅雨雲が最後の抵抗を試み,
 夕日との間にバトルがあった。
 しかし、熱く燃えた夕日の前にあっけなく蹴散らかされた。
 その瞬間を撮った画像をパラパラとご覧ください。

 新規


 これから本格的な真夏、熱中症気をつけてください。

2016.07.28 高麗の里58
  「高麗郡1300年」~物と語り~


 展示会


 高麗郡建郡1300年を記念する特別展・「高麗郡1300年」~物と語り~ 開催されている。
 筆者は先日、埼玉県立 歴史と民俗の博物館で催されているその特別展を見学した。
 

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        埼玉県立 歴史と民俗の博物館がある大宮公園

 特別展は「霊亀2年(716年)、現在の飯能市や日高市を中心とする地域に、1799人の高麗人が移住し、高麗郡が置かれてから1300年、高麗人たちは、祖国高句麗を離れ、日本列島、そして関東の未開の地へと移住しました。彼らが暮らした古代高麗郡の景観を示す考古資料、寺社の宝物、古文書などの文化財により、古代高麗郡の実像を示し、その歴史がどのように語り継がれてきたかを明らかにする」と言う.。

          展示内容
     プロローグ 高麗郡ヲ置ク
  1 物~もの~
     1、高句麗ー高麗人のふるさと
     2、東国の渡来文化
     3、古代高麗郡の景観―寺院、集落、産業
     4、高倉福信ー高麗郡出身の官人
  2 語り~かたり~
     1、高麗若光の足跡
     2、高麗神社と高麗山聖天院の宝物
     3、記憶の浮上ー高麗神社を中心に
     エピローグ高麗郡建郡1300年
 
 古代寺院の出土遺物、高麗神社の神宝、地域に残る古文書など約 200点の歴史資料が展示されていた。


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            博物館  特別展  入口  

筆者は展示物を見学して、これまで「高麗の里」を連載してきた記事の内容を確認するものであった。また高麗郡建郡までの歴史と高麗郡建郡時の状況、それから1300年の高麗郡の歩みなど展示物を見学しながら、歴史のダイナミックを改めて認識させられた。
 撮影禁止であったため、 貴重な資料、遺品、遺物、宝物等の画像写真を記事に反映出来なかった,少し.残念。

 「百聞は一見に如かず」、「高麗の里」・高麗郡の歴史を知る機会と思われので見学をお勧めしたい。
  
  開催日: 2016年7月16日(土)~8月31日(水)
            9:00~17:00
  休館日: 月曜日 (ただし7月18日㊗は開館)
  場 所: 埼玉県立 歴史と民俗の博物館(大宮公園内)
       さいたま市大宮区高鼻町 4-219 
       電話048-645-8171
  観覧料:一般 600円、高校生・学生300円
      富士山の名場面


 梅雨期に入って、富士山を見ることはなかった、
 この時期は、晴れた日でも富士山の姿をみることは難しい、
 そのため、筆者のテーマの一つ、
 「富士山と夕日と雲」の記事も滞っている。
 そこで、今まで撮った画像の中から富士山の名場面
 7枚を選んでみた、パラパラとご覧ください。

 名富士
 
 梅雨が明けた後も暑い間は、
 富士山は見られないと思われる、
 しばらく、富士山の名場面を楽しんで下さい。
       上水散歩道のユリ

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 玉川上水駅南口から川の上流に向かって
 三つ目の金毘羅橋までの遊歩道、
 筆者の好きな散歩コースの一つである。
 往復、約1時間、7000歩の距離,
 
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 7月中旬、ところどころにユリの花が咲いていた、
 気をつけて見ないと見過ごしてしまうような
 一本ないし2本の小さいユリである。

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 流れる上水の岸辺にひっそりと咲いている、
 可憐な姿は散歩する人を癒してくれる。

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 ユリには120品種あり、代表的な種に、
 ヤマユリ、オニユリ、カノコユリ、ササユリ、
 テッポウユリ、オトメユリなどがある。

  ユリ園
    ところざわのユリ園 西武球場前付近 

 上水の散歩道に咲くユリはヤマユリと思われる。
 公園で見る沢山のいろいろなユリもいいが、

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  濃い緑の中にポツンと咲くユリもまた
  見栄えがするものではなかろうか?!、、
     ボランティア花壇2

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       東大和南公園 「空襲変電所」 左側花壇

  季節の花が咲く東大和南公園のボランティア花壇、
 普段、あまり見られない、いろいろな花が咲き誇る、
 この花壇に携わるボランティアの方たちは親切だ、
 珍しい花には名称と特徴の説明文を書いて貼っている。

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      ブッドレア 蝶を呼ぶ花   花ことば 魅力


 花の名を覚えることが苦手であった筆者も
 これなら花と説明文を見比べながら覚えられそうだ


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      ハンゲショウ  花ことば 内に秘めた情熱  

  DSC_0130.jpg   DSC_0127.jpg
      アメリカフヨオ                   カンナ

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         黄・キクイモモドキ 桃・アルストメリア 紫・ペロニカ

   現在、花壇に多様な花が咲いている、
  ボランティア花壇に携わる人たちの
  花のような美しい心と親切に感謝し、
  これからも花壇に咲く花を紹介していきたい。
2016.07.14 高麗の里57
      高麗・狛人の武蔵鐙造り


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              高麗の里  巾着田内の馬牧場

 古代高句麗(BC37~668 年)は東アジアの最強国の一つであった。
 高句麗は騎馬民族国家で馬の飼育や馬具の生産、乗馬技術は優れていた。高句麗古墳壁画(世界文化遺産)には、馬で狩りをする図や馬術競技(流鏑馬)、騎馬行進図などが多く描かれている。

 
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        鎧馬騎士団  高句麗壁画古墳より模描

 新羅・唐連合軍によって、660年に百済が滅び、668年には高句麗が滅亡した。百済・高句麗遺民が大挙日本に渡来した。北九州から瀬戸内海を経て畿内へ、または北陸能登半島、越前海岸から畿内・中部地方・東国地方に移り住んだと思われる。
 また、日本には百済、高句麗が滅亡以前から、すでに多くの百済人、新羅人、高句麗人(高麗人・狛人)が渡来定着していた。
 4世紀~ 6世紀にかけて高句麗からの渡来人が多摩郡狛江付近(現在の狛江市・三鷹市・武蔵野市・川崎市の一部)に定住していたことが遺跡・遺物から明らかになっている。
 東京都狛江市の地名は、高句麗=コマ「狛」に由来すると云われている。
 狛江には約70基の古墳群があり、“狛江百塚”とも呼ばれていた。
 「都教委の調べによると、兜塚(狛江市泉水749)は、高さ4メートル、直径30メートル,約1200百平方メートルの円墳。今では原型がなくなってしまったが、約500メートル南西の亀塚(前方後円墳)がかっての発掘調査で、朝鮮半島からの帰化人集団の古墳とみられる」(読売新聞1975年2月5日付)
 遺跡調査から組合式箱形石棺、鏡、玉、武器、馬具類多数と「神人歌舞画像鏡」(東京国立博物館蔵)が発見された。この「神人歌舞画像鏡」と北朝鮮の平壌で発掘・発見された同型のものである」(『日本の中の朝鮮文化』金達寿著)
 狛江の古墳群は、現在都市化が進み住宅地に変容してしまった。ただ一つ、住宅地の片隅に「狛江亀塚」石碑があって、高句麗人(狛人・高麗人)居住した痕跡を残すのみと云う。
 古代、武蔵国多摩郡で馬の飼育や馬具・鐙(あぶみ) が造られた記録が残されている、
 「古くより武蔵鐙と称するものあり、ここに遷されたる高麗人の造るところぞ、盛衰記に畠山重忠小坪合戦の時,用ゆ云、今の世に五六鐙と称するものはその遺製なるし」(『大日本地名辞書』板東編) 
 また、「古くより世に武蔵鐙と称するものあり、此処に遷されたる高麗人の造るところと云」(『新編武蔵風土記稿』)

   馬具   あぶみ
                    鐙(あぶみ)
  鐙(あぶみ)は、馬の背に載せた鞍から左右 1対を吊り下げ、馬に登るときや、乗っているときに足をかけるための馬具である。これを使って乗馬することを「鐙を履く」と云う。鐙は、馬上での弓矢・武器を使用を可能にして騎馬術を発展させた。
 武蔵鐙を造ったとされる高麗人は、高麗郡設置(716年)以前の6世紀頃に武蔵国多摩地方に定着していた古層の高麗・狛人(高句麗人)であったと思われる。
 その根拠として、古代武蔵国多摩郡では馬を飼育、繁殖が盛んに行われて、石川牧・由比牧・小川牧等の牧場・官牧があった。この時期の高麗郡における馬の飼育、牧の存在は確認されていない。
 また、古代武蔵国多摩郡坂浜村(現稲城市坂浜)に鐙野(あぶみの)・鐙塚(あぶみつか)という地名があり、(『武蔵名所図会』) 現在、東京都稲城市立第二小学校の周辺を鐙野と呼ばれている。そして、この小学校の校歌に「あぶみが原」の地名が歌われているという。これらのことから武蔵鐙は、このあたりで造られたものと推定されている。
 武蔵鐙は高麗郡の高麗人よって造られたと単純に考えていたのであるが、調べていくと高麗郡が設置される以前、すでに多摩郡に渡来定着していた「古層」の狛人・高麗人の手によって造られていたことがわかった。
 古代、多摩文化研究者の岡田清子さんは
 「武蔵の古渡りの狛びとたち「牧で飼育されていた武蔵のコマ(駒)に使われる鞍や鐙を考えると、鐙を造ったコマ人も汎称としての狛びととみた方がよさそうである。・・・多摩山中での鐙造りのコマ人も、のちに高麗郡から流出してきた高麗人ではなく、逆に高麗郡へ集中を命ぜられなかった、古渡の狛びとの系列に属する工人とみたい」(『多摩のあゆみ』47号「多摩の古代朝鮮文化」)
 納得できできる説であり、筆者も賛成である。
 

  s-馬射戯
       高麗の里 巾着田で行われた馬射戯(まさひ)競技の一場面

 武蔵鐙は、「高麗の里」の 高麗人でなく、高麗郡設置以前の古層高麗・狛人(高句麗人)によって造られたいう結論になったが、筆者にとっては渡来人に関する考古学的資料や多くの研究者の著作・研究成果を知る貴重な機会となった。
      梅雨時の夕日2

  梅雨空を根気よく眺めていると、
  いろいろ変化に富んだ空の景色が見られます、
  また、梅雨空でなければ見られない光景もあります、
  7枚の画像の中から不思議な光景を見つけて下さい、


  梅雨の夕日2

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  これからも[富士山と夕日と雲]を発信していきます。
      梅雨時の夕日1

  梅雨時の空は雨・曇りのスッキリしない日々がつづく、、
  しかし、時々は梅雨の谷間で美しい夕日が見られる。
  最近、撮った画像から「梅雨時の夕日」として
  二回に分けて パラパラとご覧ください。


  梅雨の夕日1


  梅雨時の瞬間的な美しい空を撮るのも楽しみである。

     白い花の咲く頃

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 玉川上水駅前の高層アパートに住む筆者は、普段はエレベーターを利用するが、散歩に出かけ るときは廊下端の階段を利用する。
 階段手前のKさんの廊下にいつも季節の花が飾られている。
 ここで立ち止まり、鑑賞してから階段を下りて行くのであるが、

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6月中は白百合と真白い大きなアジサイが特別に目を惹いた。
    散歩しながら口ずさんだ歌
 
   白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日
   さよならと言ったら 黙ってうつむいてたお下髪
   悲しかったあの時の あの白い花だよ!
 


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   次は如何なる花が飾られるか、散歩に出かけるときの楽しみである。
2016.07.02 高麗の里56
     『六人の総理大臣が誕生』

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 『六人の総理大臣が誕生』ー最強の出世開運スポット 強運パワーの高麗神社ーが出版された。
 高麗神社を参拝した政治家6人が内閣総理大臣になった。 ホントかな?とつい疑問を持ちたくなる話であるが事実である。高麗神社参拝後に総理大臣になった六人とは
 1、第25・28代 内閣総理大臣 
       若槻禮次郎(1866~1949) 
 2、第27代 内閣 総理大臣 
       濵口雄幸 (1870~1931)
 3、第30代 内閣総理大臣 
       斎藤実  (1854~1936)
 4、第35代 内閣総理大臣 
       平沼騏一郎(1867~1962)
 5、第41代 内閣総理大臣 
       小磯國昭 (1880~1950)
 6、第52・53・54代 内閣総理大臣
       鳩山一郎(1883~1959)
 本には一人一人の経歴と簡単なエピソードが記されている。

 前高麗神社 (2)


 現職の総理大臣が伊勢神宮に参拝することはよく知られているが、伊勢神宮に比べれば高麗神社は知名度の低い地方の一神社にすぎない。にもかかわらず参拝した政治家が六人も総理大臣になったのである。
 本では、なぜ「出世明神」と呼ばれるようになったか?について、
 1905年(明治38年)、朝鮮半島を巡ってロシアと戦い(日露戦争)勝利した日本は1910年、朝鮮を完全に植民地化し朝鮮総督府をおいた。
この頃から「高句麗からの渡来人を祀った神社である高麗神社は、政治家たちに注目されるようになります。そして、朝鮮総督府に関係する役職に就任した軍人や政治家たちが、高麗神社に参拝に訪れ、朝鮮半島の平穏を祈願していくようになったのです。・・・斎藤が内閣総理大臣になると、参拝後に総理になった三人目の政治家ということもあり、政界で”高麗神社は出世開運の御神徳がある神様だ”と噂されるようになりました。・・・この政界の噂は、財界や法曹界に広まっていきました。そして政界を中心に広まっていた高麗神社の噂を当時の新聞記者がききつけ、「出世明神」と報道したところで、高麗神社は出世開運の霊験あらたかな神社として広く知られるようになりました。」

  1高麗神社


 高麗神社を訪れた多くの政治家の中から1人2人の総理大臣誕生は不思議ではないが、6人もの総理大臣が誕生したことは、やはり高麗神社には霊験が宿る出世開運スポットなのだろうか!?