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2015.06.28 梅雨空の谷間
       神秘的な光景


  灰色の雲が空を覆い、うっとうしい日がつづいているが、

  ときどき、夕日が沈む頃、梅雨空の谷間に

  神秘的な光景を見せてくれることもある、

  富士山を中心に奥多摩方面と丹沢・大山方面を

  連続して撮った画像をパラパラとご覧ください。

  西山の空

2015.06.23 高麗の里19
            「出世明神」

  
    P3261884.jpg
         「出世明神の由来」掲示板   高麗神社境内


   高麗神社は「出世明神」とも呼ばれている。
   
   なぜ「出世明神」と呼ばれるのか?

   境内の掲示板「出世明神の由来」を読んでみる。

当社は遠く奈良時代元正天皇の御代高麗郡を統治した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)をお祀(まつ)りした社で、創建より千三百年を数える関東有数の古社である。古来、霊験あらたかをもって知られ、高麗郡総鎮守として郡民の崇敬を受けてきた当社は、近代に入り水野錬太郎氏・若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏・斎藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。近年では、政界・官界・財界を始め、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島敬介両氏が検事総長に就任された。」と書いてある。

   掲示板に載る人物の年代を調べてみると、
 
   若槻 禮次郎(1866~1949) 総理大臣(第25・28代)

   浜口雄幸 (1870~1931)  総理大臣(第27代) 31年銃撃される

   斉藤 實 (1858~1936) 総理大臣(第30代)2.26事件で暗殺される 

   鳩山一郎 (1883~1959)  総理大臣(第52・53・54代)
 
   水野錬太郎(1868~1949)  総理大臣加藤友三郎の急死(1922年)により

                        内相であったが首相代理を務める。

   また、鳩山一郎の孫、鳩山由紀夫氏が総理大臣にまで登りつめたのは、

   自身が「出世明神」にお参りしたためか、それとも祖父の神社参拝のご利益が

   孫の代までつづいたためか? 偶然であったとしても不思議なことである。

   すべて、参拝してからの後の総理大臣就任であるから驚きである。

   石田和外(1903~1979) 最高裁判所所長官(第5代)

   吉永祐介(1932~2013) 検事総長(第18代) ロッキード事件指揮
 
   北島敬介(1936~2008) 検事総長(第19代)

   二人の検事総長は年齢からすると、戦後の高麗神社参拝であるようだ。

    芳名録
         芳名版   高麗神社入口 鳥居横


   鳥居の横に立つ芳名版をみると、政治家、文学者、芸術家、企業家など

   多くの著名人の氏名が上げられている。

   また、韓国の元総理大臣金鍾必氏をはじめ駐日韓国大使、在日コリアンの

   著名人も大勢参拝に訪れていることがわかる。

   高麗神社が「出世明神」と呼ばれても不思議ではないと、うなずけるのであるが、

   それにしても、なぜ多くの著名人が高麗神社に参拝するようになったか疑問が残る。

   太平洋戦争が終わるまでは、高麗神社参拝は一種のブームになっていたようだ。

   金達寿氏が、ある講演で次のように語っている。

高麗神社はいまでも栄えていますが、戦争中から非常に栄えた神社です。どうしてかわかりませんが、高麗神社におまいりすると、戦地に行っても弾に当たらないというんです・それでずいぶん高麗神社におまいりする人が多かったのです。そればかりか、どういうわけか、偉い人がたくさんおまいりする。何とかの宮さまとか、ある新聞に出ていましたが、検事は事件が迷宮入りなると高麗神社におまいりする」(『渡来人と渡来文化』)

   金達寿氏の現地で取材しての話であるから、

   高麗神社が戦前・戦中は非常に栄えていたことは事実であろう。

   そして、1970年代に『日本の中の朝鮮文化』が出版されると、

   高句麗人による高麗郡建郡や渡来人の歴史、文化、遺跡などが広く

   知られるようになって、高麗神社を訪れる人が増えているようである。

先代の宮司(高麗澄雄)さんに『金さんの本のおかげでずいぶん人が来るようになりました。しかし、金さんの印税にはかないませんね』とひやかし半分で感謝されたことがあります。」(『見直される古代の日本と朝鮮』金達寿著)

   来年の2016年5月16日は高麗郡建郡1300年を迎える。 地元、日高市は

     (1)特に東アジアを中心に国際交流を促進する『平和・友好の絆づくり』

     (2)埼玉県西部地域まちを元気にする『地域活性化事業』、

     (3)先人の遺産を再発見郡域の魅力を掘り起こす『歴史観光文化事業』を

   目的とする「高麗建郡1300年記念事業委員会」を発足させた。

   そして、来年に向けて「渡来から未来へ!」をキャッチフレーズに

   さまざまなイベントが計画されている。
     
        (1)馬射戯―騎射競技大会
        (2)虹のパレード
        (3)公開歴史講演会
        (4)高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム
        (5)渡来人の里フォーラム
                 問い合わせ 日本会議日高支部
                 TEL・FAX    042-985-0077, 090-8873-3026

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   1300年を契機に、また高麗神社参拝ブームが起り、日朝・日韓間の人的交流・

   文化交流の輪が広がり、東アジアを中心とする国際交流を促進する

   新しい平和・友好・親善の絆が結ばれることを願ってやまない。
2015.06.20 高麗の里18
            白鬚神社

  
  びわ湖
     平良山 白髭神社の鳥居  びわ湖 滋賀県高島郡

  高麗神社は大宮大明神、白髭大明神とも呼称されている。

  高麗神社創建以前から猿田彦命と武内宿禰を祀る祠があったという。

  郡長の高麗王若光は彼らを祭祀する一社を設け白髭明神として崇敬した。

  若光が亡くなると、高麗の郡民は彼の徳を偲んで霊を祀り

  高麗大明神として白髭明神に合祀したのであった。

  筆者は以前に晩年の若光が白髭であったことから彼の死後に

  白髭明神の名が付いたと、その由来を書いたが、

  それは少し違うようであった。調べてみると

  白髭神社の名称は若光の生存時に、すでにあったのである。

  白髭様相の若光が白髭神社に合祀されると、白髭神社がますます

  盛んになったものと思われる。

  墨田区
           白鬚神社  東京都墨田区

  高麗神社の分社である白髭神社は関東地方一帯に55社あるという。

  これは、高麗一族が繁栄して分散居住するにしたがって村の鎮守の

  祖神として、白髭明神を祀る神社を各地に建てたからである。

  
    白鬚橋
        隅田川に架かる白鬚橋  浅草白鬚神社付近

  また、近江の比良山麗に比良神、比良明神とも言われる白鬚神社

  (滋賀県高島郡)がある。びわ湖周辺では最古の神社で、 新羅系渡来人が

  猿田彦命を奉祀した神社とされる。全国白鬚神社の総本山となっている。

  湖中の丹塗の大鳥居とその景観から「近畿の厳島」、

  「びわ湖の厳島」と称され有名である。、

  びわ湖2
         「びわ湖の厳島」  白鬚神社  全景 

  白鬚神社の分社・400社余りが全国的に分布しているという。

  因みに高麗の「白髭」は「くちひげ」、比良山の「白鬚」は「あごひげ」である。

  川南
        白鬚神社 百済系渡来人祭神 宮崎県日向日南


  それでは、「白鬚」の名称はどうして生まれたのであろうか?

  そして、高麗神社系の白髭神社と比良山系の白髭神社とは

  いかなる関係にあるのだろうか?

  これらの問題には、いろいろな説があって結論は出ないようである。

  筆者が知り得たいろいろな説を整理してみる。

  1、新羅説、新羅神を祀っている。

    新羅の最初の国号が斯盧(シラ)であり、新羅と

    変わる過程で「シラギ」が転化して「白鬚神社」になったという説。

  2、百済説、百済神を祀っている。

    社名の白鬚(はくしゅう)は、百済(ひやくさい)のことであり、

    白鬚(しらひげ)と音読み転化したもの、つまり百済の神を祀ったとする説。

  3、比良神説.

    白鬚の老人が姿を現したという比良山伝承がいくつかあり、

    その辺から白鬚神社という名がついたとする説。

  4、高麗神社の勧請説。

    高麗郡・「高麗の里」から近江の湖西に移住した高麗一族が高麗神社を

    勧請し、比良神・比良明神が白髭神社に名を変えたとする説。

    比良神、比良明神が白鬚神社名が史料に初めて記されるのは

    鎌倉時代の1395年以後である。

  5、 最後に、段熙麟(ダン・ヒリン)氏の説を紹介する。

    要旨、 「朝鮮の古潭では、神奇な現象の前兆として、夢中に白鬚の神が現れ

     啓示をして去ってしまう。一例として、

ある貧しい孝行娘が
病気の親に薬を買ってあげられないので悩んでいた。ある夜、夢の中に白髭の神が
現れて、深山幽谷に自在している朝鮮人参のあるところを教えて去った。娘は夢から覚め
たのち、神の啓示通に探して行って天然の人参を得ることができた。この天然の人参は
古来、秘薬とされ、古いものは何十年間も断崖絶壁の谷間に自生して凡人の目にはつ
かないと言われる。そのため非常に高価で売れ、親に薬を買い与えることができて、
一生を幸せにくらした


  このような説話に出る白鬚の神は常に普遍的な形で現れ、

  神霊様(シンリョンニム)、天の神様(ハヌニム)と呼ばれ、朝鮮では

  民族的守護神である檀君二ム(古代朝鮮建国者・檀君神話)が

  登場するのである。

  今日においても、韓国では檀君を崇拝する宗教として大倧教が布教されている。

  全国的に分布する白髭神社の社名も、関東地方の白髭神社の社名も

  朝鮮半島からの渡来人が同族の始祖・檀君ニムに擬定して、

  その観念的形相である白鬚をもじって名付けられたのではないか」と

  説いている。(「日本に残る古代朝鮮『関東編』・『近畿編』」)

  奥多摩
          東京都奥多摩町の白髭神社と大岩

  武蔵国にも新羅人が居住しており、また、近江にも多数の高句麗じんが住んでいた。

  いずれにしても、白鬚信仰には朝鮮半島から高句麗、新羅、百済系渡来人が、

  深く関わっていたことは間違いないようである。

  若狭
           白髭神社古墳 福井県小浜・若狭


2015.06.17 高麗の里17
           なぜ高麗か? 

  P2151712.jpg
         高麗川  高麗の里  巾着田入口付近

  「高麗の里」には、高麗王若光、高麗神社、高麗郷、高麗川、高麗山、高麗駅など

  高麗(こま)の名称が多く残されており、往昔しのばせてくれる。

  「高麗の里」を拓いたのは、滅亡した高句麗(こうくり)の遺民・渡来人たちであった。

  にもかかわらず、高句麗(こうくり)と呼称せず、全て「高麗」(こま)と呼んでいる。

  東京都の駒沢、駒込、駒場、狛江、山梨県の巨摩郡、駒ヶ岳など、

  「コマ」は高句麗ゆかりの地名と謂われている。

  ハングルでは高句麗を고구려(コグリョ)、高麗を고려(こうりょ)と読む。

  そして、高句麗と高麗は存立した時代が大きく異なる。

  高句麗(BC37~668)が滅亡してから、250年後に成立した

  高麗(918~1392)は 朝鮮半島の統一国家で、約500年間存立した。

  したがって高句麗と高麗は全く別の国である。

  現在、国際的に通用している国名・「KORER」(コリア)と呼ばれるようになったのは

  高麗(こうりょ)時代からである。

  それでは、日本で高句麗をなぜ高麗と記され、「こま」呼ぶようになったのだろうか?

  一般的には、高句麗の「句」が省略されて、残された「高麗」を音読みして「コマ」と

  呼ぶようになったと考えられている。(「句」省略説)

  また、朝鮮の建国神話で「檀君説」に出るコム(熊)と日本の熊野、熊野神社などの

  クマ(熊)との関係から「コマ」に転化した「説」などがある。

  最近、中国の考古学者によって、「句」が省略されたのではなく、

  「6世紀初、高句麗の国名が正式に「高麗」と改名自称していた」と,

 新しい「説」を提起した。(国名変更説) その根拠として、

  1、中国の 『隋書』、『唐書』に高句麗の表記はなく、「高麗」と記されていること、
  
  2、韓国忠清北道中原(現在の忠洲市)で発見された「中原高句麗碑」(1797年発見、

    5世紀中頃に建てられたと推定)の碑文に「高麗」の国名が刻まれている。

      中原2
          国宝 中原高句麗碑  韓国忠州博物館所蔵

  中央塔
        国宝 中原塔坪里七層石塔(中央塔) 韓国忠州市  

  3、日本の『日本書紀』、『続日本記』に載る「高麗」は正式国名として記したもので

    「句」を省略したものではない。

  この「国名変更説」では前期の高句麗時代と後期の高麗時代に区分されるが

  高句麗全史の構成部分であり、後の高麗とは全く別の国であるとしている。

  しかし、朝鮮の古典である『三国史記』(12世紀)、『三国遺史』(13世紀)は

  一貫して「高句麗」で書かれて「高麗」の表記はない。

  「〈句〉省略説」、「国名変更説」、その他の説も含めていずれが正しいか、

  決定的な証拠がないかぎり結論は出ないだろう。ただ一つ,はっきりしていることは、

  「1300年の昔、入植した朝鮮半島から渡来してきた高句麗人が「高麗の里」を拓いた

  という事実に変わりがないことである。

   句麗神社
              高麗神社  正殿

  面白いことに、高麗神社の正面に掲げられている扁額に「」の字が小さく彫り込まれて

  高句麗神社となっている。本来は「高句麗神社」であることを表したのであろう。

    扁額
         よく見ないとの字が目に止まらない


  扁額の左片隅に、奉額者 趙重応の名前の上に「朝鮮人」が彫刻されている。

  おそらく、朝鮮が植民地となった明治時代の1910年以後に掲げたものであろう。

  扁額は歴史の証言者のように参拝者を見つめつづけているようである。
          紫陽花


   散歩に行こうと玄関を出ると、隣家の盆栽の花が目に止まった。

   他では見られない見事な紫陽花である。携帯で何枚か撮り、

   いつものように、玉川上水脇の散歩道を上流に行く、

   ところどころに、また、色とりどりの紫陽花が咲いていた、

   梅雨時に咲く、紫陽花にもこんなに沢山の品種があったのだ。

   ばら、菖蒲につづいて紫陽花をパラパラ画像でご覧ください。

   あじさい

2015.06.09 富士山
        梅雨入りと富士山

   
   2015年 6月9日(火)

   昨日、 関東地方に梅雨入りが宣言されたばかりである。、

   今日も朝から雨模様、一日中空全体に雲に覆われていた。

   ところが、夕方に突然富士山が姿を見せた。

  P6092241.jpg
            6月9日 夕5時頃の富士山            


   日が沈むまで顔をだしつづけてくれた。

   筆者は「5月の富士山」をブログ記事に載せ、

   次に富士山はいつ頃、どんな姿で現れるだろうか?と

   書いたのであったが、こんなにも早く、

   しかも、梅雨に入ったばかりの日に、その姿を見せるとは予想だにしなかった。

   ともかく、写真を何枚か撮り記事とともに発信する。

  P6092244.jpg
              6月9日 6時頃の富士山


   冬の雪化粧した富士山と比較したいのであるが、

   この時期の素顔の富士山もまた、好いのではないかと、

   撮ったばかりの富士山の画像3枚を掲載する。

  梅雨入富士
             6月9日 7時頃の富士山

   富士山はどこから見ても美しいが、こうしてブログの画像を見ると

   梅雨時の富士山も悪くないと思えるのは、筆者だけの思い過ごしか?
       東村山菖蒲まつり3

  北山公園の背後は丘陵・八国山緑地が連なっている

  公園と丘陵の間をときどき西武線の電車が行き交う、

  八国山緑地に入って見ようと思ったが、この線路のため入れない、

  左・右とも踏切がかなり遠いためあきらめた。

  都内に近い東村山市に、このような広い緑地が残されていたのだ、

  地図を見ると緑地は東京都と埼玉県との境界、

  所沢市に接して「トトロの森が」近くあるようだ、

  次の機会にこの緑地を散策してみようと思いながら、

  もう一度、北山公園を一周した。菖蒲の花をパチパチ撮りながら、

  それでは北山公園の菖蒲、三回目のパラパラ画像をご覧ください。

  北山公園4


  東村山菖蒲まつり2

  菖蒲のある北山公園へは西武線の東村山駅から徒歩20分、

  立川駅から東村山駅行きのバスが東大和駅を経由するので、

  筆者は東大和駅からこのバスを利用することにした。

  地図をみると、終点の一つ手前のバス停・正福寺が北山公園に

  より近いようだった。

  降りて北山公園方向に向かって行くと正面に正福寺があった。

  由緒あるお寺のようだが、簡単に境内を見学して目的地に向かう。

  バス停から15分くらいだっただろうか。

  それでは北山公園の菖蒲、2回目のパラパラ画像をご覧ください。

  北山公園3


 
... 続きを読む
      東村山菖蒲まつり1

  東村山市北山公園の菖蒲(しょうぶ)を見学してきた。

  北山公園は、わが街(東大和市)の狭山公園に隣接する近い所にあった。

  ネットで「東村山菖蒲まつり」(6月6日〈土〉~6月21日〈日〉)を知り、

  明日は雨の予報もあって、1日早い今日6月5日、

  急きょ見に行ってきたのである。

  こんなに沢山の菖蒲の花を見たことが無かったので少し驚いた。

  色とりどりの花模様は、バラとよく似ているが、バラのような華やかさはない。

  しかし、菖蒲は菖蒲なりの素朴で可憐な美しさがあるようだ。

  文学的な表現をしたいが言葉が出てこない。

  画像だけはパチパチと数多く撮ったので、3回(1回10枚)に分けて掲載する。

  まず、1回目のパラパラ画像をご覧ください。

  北山公園2