秋の夕焼け

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  一週間前の9月12日(火)
 久しぶりに美しい夕焼けが空一杯に広がった。
 この日、筆者は夕日が西の山に沈む頃から、
 夕映えの大空を眺めていた。

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 雲のすき間から、赤く染まり始めた夕焼けは
 たちまち、空全体に燃えるような紅赤色に染った。

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 まさに幻想的・荘厳な光景であった。
 動画も含めて沢山の画像を撮りまくった。

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 ブログ仲間のAさんが「つれづれだより東大和」に
 東の空にかかった虹の画像と共に掲載された。
 東の空に虹がかかっていたことは、
 筆者は気がつかなかった。

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 次に、
 このような光景を目にするのはいつだろう?!
          打作図        
         (ださくず)

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 金弘道(キム・ホンド)は、絵画の主流となっていた、中国風の空想的な山水画を描くことはなかった。
 彼の多様な作品を貫いたのは、生活し、働いている当代社会の名もない人々を主人公としたこどである。
 この「脱穀の図」を見ることにしょう。 
 6人の農民が稲束を運んできて、大きな枯れ木に打ちつけ、籾を取る作業をしている。
 その顔は働く喜びが表情に出ていて、活気に溢れている。
 人物を描く線は、よく見ると太く細く、リズムをもって正確に描いていく絶妙の線描であることがわかる。
 右上にいるのは、横に酒瓶を置き、長いキセルをふかしているマルム(小作管理人)という男、
 都市にいる不在地主の委託を受け、現地にあって小作人を管理し、小作料の取り立てなどを行う人物。
 朝鮮王朝でもっとも安定した18世紀、
 マルムも農民が準備してくれた酒を横に置いて、のんびりと間の抜けた顔をしておれたのだ。
 金弘道も良き時代を背景に、働く農民の姿を生き生きと描いた傑作を残すことができたのである。
        九十九里浜

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  9月10日、
 囲碁仲間から一泊旅行に誘われて、九十九里浜に行ってきた。
 普段、海を見る機会に恵まれていない筆者は、碁会の途中、ひそかに1人抜け出して海岸を散歩した。
 そこは、長い長い砂浜がつづく九十九里浜の中央・ 白子町中里海水浴場である。
 サーフィン姿の若者数人が休んでいたが、人気のない砂浜がどこまでもつづいていた。
 そよ風が吹く海は、4・5m位の大波が果てしなく押し寄せていた。

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 久しぶりに見る大海原の風景、
 海浜独特な松林の光景、
 高いカナリの木が筆者の目を惹きつける 。

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 いつも、奥多摩の山々を目にしている筆者にとって、海辺は別世界の風景、
 全てが新鮮で珍しいものに見える。
 いつまでも見続けていたいが、碁会が気になり、そうもいかない。

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 ブログに載せる風景を何枚かスマホに収め、引き返したのであった。
 この日の対局は、自分だけに海の精気が宿ったのか、勝ち碁がつづき思わぬ良い成績を修めることが出来た。
        建築図     
     (けんちくず)

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 金弘道(キム・ホンド)は、働く人がどんな道具や材料をもって、何を作っていくのかを正確に描いている。
  これは、近世以前の画家としては、ごく珍しい態度といわねばならない。
  画面中央の直立した太い柱、それに三角形の屋根、まことに明快な構図の中で、人々が家を建てるという一つの目的をもって有機的に働いている。
  この画では、すでに棟から軒に垂木をかけ、その上に板を敷いて、まさに瓦を葺こうとしている。
 屋根から縄で引き上げようとしているのは、瓦の下に敷く粘土の塊だ。
 瓦職人は、瓦を敷くまえに、景気よくそれを投げ上げては、自分の仕事に活気を与えている。
 下では、カンナをかける人、柱の横に立つのは大工の棟梁であろうか。重しをつけた糸で柱の傾きを点検してしている。
 長い杖をもって工事を見守る人物は、この家の注文主であろうか。画面右下の朝鮮独特のノコギリと手斧にも注意されたい。
 このように金弘道は、政府の図画省の画員として伝統的な絵も描いたであろうが、その他に働く人々の生活を活きいきと描き出すことにより、わが国の人物画や風俗画に革新的な新しい模範を作り出した。
  彼の画は、後につづく画家たちのために創作上の活気を与えたのである。
       ススキ(薄・芒) 

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 ススキは秋の七草(ハギ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ) の一つ、
 ススキは獣(けもの)の尻尾に似ていることから尾花(オバナ)とも呼ぶ。
 「風に揺れる薄 ゆく人を招く女人の 袖のよう」の歌があり、
 「袖振草」とも呼ばれる。
 ボランティア花壇に植えられているススキが見頃、
 しかし、ススキに関心をもって見る人は少ないようだ。
 ススキは背が高いが、なんとなく暗く、淋しいイメージがある、
 もともと、ススキは日本の文化に根づいた植物であった。
 日本全国に分布し、日当たりの良い山野に生息している。

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 かつては「茅」(かや)と呼ばれ、
 農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いたり、
 家畜の餌として利用することが多かった。
 そのため集落の近くに、定期的に刈り入れをするススキ草原があり、
 これを茅場(かやば)と呼んでいた。
 現在では、そのような利用はされなくなり、多くは雑木林となってしまっている。
 沖縄地方には、ススキの葉を環のように結んで魔除けとする風習があるらしい。
 すすきの花言葉は「活力」、「生命力」という、
 花言葉からすると、すすきを見たら「ファイト!」、「頑張るぞ!」といった、
 元気がでるイメージがあってもと思ったりするのだが、

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 ボランティア花壇の 地味なススキに根もとには
 色とりどりジニアの花がにやかに咲いていた。